早稲田大学第一文学部西洋史学専攻にて北欧史を専攻。アナウンス研究会に所属[9]。大学在学中に「大学受験ラジオ講座」内の「蛍雪アワー」のDJとして活躍するなど、アナウンサー志望だったが[9]、TBSのアナウンサー入社試験を受験した際に試験官だったドラマのプロデューサーに見出され[3][10]、大学卒業後の1983年、TBSのポーラテレビ小説『おゆう』主演で女優デビュー[2][3]。
テレビドラマ『青が散る』に出演後、9ヶ月で女優業からキャスターへ転向する[8]。1985年、テレビ朝日の早朝ニュースワイド番組『おはようTODAY』、1987年、TBSの報道情報番組『サンデーモーニング』サブキャスターなどに出演[6]。TBSの報道番組『筑紫哲也ニュース23』では、1989年10月2日の番組スタート時から1997年9月までの8年間サブキャスターを担当した[6]。筑紫哲也が亡くなった日である2008年11月7日放送の『NEWS23』においてVTRではあるが久しぶりに出演、筑紫の死を悼んだ。
私生活では、1994年にTBS報道局報道記者と結婚[3][8]。1999年に長男を出産し[8]、以後はテレビの一線から退いて、子育てをテーマに講演活動などを行う[8]。
2007年からは文部科学省・子どもの読書サポーターズ会議委員、ちひろ美術館・東京等で朗読ボランティア、子育て支援のネットワーク活動・4つ葉プロジェクトのメンバーとして活動を行う[10]。2012年から2013年まで、 京都ノートルダム女子大学客員教授を務める[6]。
2007年に乳がんに罹患して以降10年以上にわたって闘病を続け[8]、気功など東洋医学的な治療を経て2017年に摘出を行うものの、2018年5月に体調が悪化して6月より東京都内の病院へ入院。病状が急変し、同年9月14日、乳がんのため、東京都内の病院で死去[6][11][12]。57歳没。 競馬ファンでスポーツ紙に競馬に関する連載を持っていたことがあるほか[3]、好角家としても著名で、大相撲番組の司会進行も務めた[8]。 浜尾の親戚で、元ミノルフォン専属の歌手「都川弘とブルーロマン」(小原真治とプレイファイブ、トシ伊藤とザ・プレイズメンもグループ同一)のメンバー、明健一(元歌手、ミュージシャン。48歳没)がいる。浜尾が早稲田大学在籍中、来訪の折に、明の一人息子、真希(現サッカー指導者、札幌中央フットボールクラブ創設者)に手作りの人形をプレゼントしたことを後に健一が伝える。 民放局での出演番組 期間番組名役職 独立局での出演番組
人物
出演
テレビ
1985年10月1986年3月おはようTODAY(テレビ朝日)キャスター兼『おはよう!CNN』主要担当兼『ANNニュースセブン』担当キャスター
1987年10月1989年9月サンデーモーニング(TBS)サブキャスター
1989年10月1997年9月筑紫哲也ニュース23(TBS)
ニッポン早わかり(テレビ神奈川制作、サンテレビなど)
テレビドラマ
ポーラテレビ小説・おゆう(1983年4月 - 9月、TBS) - 主演・おゆう 役
青が散る(1983年10月 - 1984年1月、TBS)[13] - 二宮耀子 役
月曜ドラマスペシャル・今夜もテレビで眠れない 第3話「猫坂の上の幽霊たち」(1995年5月、TBS)[14]
ラジオ
浜尾朱美サンデーキャロット(TBSラジオ)
待ったなし大相撲(1992年、TBSラジオ)
ビブリオグラフィ
著書
『もう結婚占いはいらない』講談社、1991年7月。ISBN 978-4062054805。
『夢のあと:My競馬diary』三心堂出版社、1996年8月。ISBN 978-4883420759。
『私の競馬:A horse for me』PHP研究所、1998年3月。ISBN 978-4569600369。
雑誌連載
日刊スポーツ(1993年 - 1999年)「競馬だ?い好き!」
脚注^ 浜尾朱美
^ a b c d e f g h i “浜尾朱美さん乳がん死 89年から8年間「NEWS23」キャスター”