続く8月発売のシングル『セシル』はノー・タイアップながら、オリコン1位[38]、『歌のトップテン』でも1位を飾る。レコードがヒットし、以後歌番組、ドラマ、バラエティ、映画、ラジオ、雑誌、コンサート、イベント等、各種メディアやイベントにも多数出演する[39]。斉藤由貴に代わり富士写真フィルム『AXIA』のイメージキャラクターとなった他、雪印乳業、カネボウ化粧品、鈴木自動車、沖電気工業、カシオ計算機など多くの企業のイメージキャラクターに起用されCMにも出演[40]。中山美穂、工藤静香、南野陽子と共に「アイドル四天王」と称され[41][42][32][43][注釈 8]、「日本一忙しいアイドル」[44][45][注釈 9][注釈 10]とも称された。
10月、「スケバン刑事V」以来となるドラマ、『金太十番勝負!』(フジテレビ系)に主人公(演・田原俊彦)の妹・東かすみ役で出演[47]。11月発売のシングル『Melody 』がオリコン2位となる[48][注釈 11]。1988年のシングル売上枚数は82.7万枚で第7位。女性歌手では南野陽子、工藤静香、中森明菜に次ぐ記録であった[49]。
1989年(昭和64年/平成元年)
1989年、1月発売のシングル『TRUE LOVE』で4作目のオリコンチャート1位を獲得[50]。
2月、原宿竹下通りに自身のタレントショップ「PALPITER」(パルピティエ、フランス語でときめきの意)オープン[注釈 12][注釈 13]。
3月発売の『MELODY FAIR』がスタジオ・アルバムでは自己最高位のオリコン週間チャート2位を獲得[37][注釈 14]。
4月、2作目の主演映画『YAWARA!』公開。1992年バルセロナオリンピックから柔道女子が正式種目となることから、そのPRとして、講道館と全日本柔道連盟のバックアップの下、柔道家の山下泰裕、山口香、モハメド・ラシュワンが本人役で出演した[51][52]。挿入歌の『NEVERLAND ?YAWARA!メインテーマ?』もオリコン2位を獲得。4月5日、姫路市での同映画関連のイベントに出席した際、混み合っていた通路階段から転落し足首を負傷する。4月6日放送の『ザ・ベストテン』及び4月12日放送の『夜のヒットスタジオDELUXE』には足を引き摺りながらも出演するが、病院で靭帯損傷と診断されギプス固定し入院。ツアー中だった『'89 SPRING CONCERT MELODY FAIR』は2本延期されるが、程なくして復帰する[53]。
7月、NHKの音楽特番『フラッシュ&ジャンプ』出演。少年隊、光GENJI、SMAP、Wink、酒井法子、渡辺満里奈などと共演した[54]。
夏のコンサートツアー『YUI ASAKA SUMMER TOUR '89 ROCK'N ROLL CIRCUS』は24ヶ所48公演という、浅香にとって最も公演数の多いツアーとなったが、初日(7月29日)、東京厚生年金会館での公演中、風邪による高熱で倒れ、6曲歌ったところでコンサートは中断される。開演直前まで点滴を打ち、楽屋に医師をスタンバイさせ、翌日の同会場でのコンサートを予定通り開催した[55][56][注釈 15]。11月4日、1989年締めくくりのコンサートとして、また浅香の10代最後のステージとして、よみうりランドEASTにて『YUI DREAM POWER in EAST '89』を開催した[57]。11月21日発売のアルバム『PRIDE』ではメッセージ色も強くなり、一部の楽曲の作詞も行う[58]。自ら作詞を手掛けた『NUTS TO YOU!』は音楽番組『ミュージックステーション』[注釈 16]の他、年末年始の音楽特番で披露された。
11月、『ザテレビジョン』誌に連載エッセイ「トッピングはペパーミント」開始。当時の人気は凄まじく、連載タイトルを同誌で募集したところ、4万通ものハガキが集まった伝説を持つ[59]。
同年9月、1988年のコンサートでバックバンドの一員だったドラマーの西川貴博(THE KIDS)との交際が発覚し、写真週刊誌に掲載される[60]。事務所は即座に釈明会見を手配するが、浅香は「お付き合いしています」と交際宣言をした。雑誌のインタビューでは「もうすぐ20歳になる女性なのだから、男性とのそんな話のひとつやふたつ、あって当たり前だと思う」と心境を語った[61]。西川とはその後も交際が続き、2002年に結婚した。
別冊宝島の調査によると、1980年代の年間ベスト50位以内ランクイン曲数は4曲と、当時の女性アイドルでは中森明菜、松田聖子、小泉今日子、中山美穂、南野陽子、工藤静香、菊池桃子に次ぐ8位[注釈 17]であった[62]。