浅野川線
大野川を渡る浅野川線の03系電車
(2022年7月 粟ヶ崎駅 - 蚊爪駅間)
概要
起終点起点:北鉄金沢駅
終点:内灘駅
駅数12駅
路線記号A
運営
開業1925年5月10日 (1925-05-10)
所有者浅野川電気鉄道→北陸鉄道
使用車両車両を参照
路線諸元
路線総延長6.8 km (4.2 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化直流1,500 V 架空電車線方式
運行速度最高60km/h[1]
路線図
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停車場・施設・接続路線
凡例
0.0A01 北鉄金沢駅
0.6A02 七ツ屋駅
1.5A03 上諸江駅
2.2A04 磯部駅
2.8A05 割出駅
3.3A06 三口駅
3.9A07 三ツ屋駅
4.5A08 大河端駅
5.1A09 北間駅
5.5A10 蚊爪駅
大野川橋梁 大野川
6.3A11 粟ヶ崎駅
6.8A12 内灘駅
8.1粟ヶ崎海岸駅
浅野川線(あさのがわせん)は、石川県金沢市の北鉄金沢駅から同県河北郡内灘町の内灘駅間を結ぶ北陸鉄道の鉄道路線。浅野川電気鉄道を前身とすることから今でも浅電(あさでん)の愛称で呼ばれている。 浅野川電気鉄道
路線データ
路線距離(営業キロ):6.8km
軌間:1067mm
駅数:12駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式
最高速度:60km/h[1]
歴史
種類株式会社
本社所在地 日本
石川県河北郡内灘村字向粟崎ト13ノ49[2]
設立1924年(大正13年)1月23日[2]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、倉庫業、不動産、ケーブルカー、海水浴場、温泉経営、遊船貸船、自動車運輸、食堂業、遊園地業[2]
代表者社長 藍元義範
資本金540,000円(払込額)[2]
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[2]。
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浅野川線は、1924年1月23日に設立された浅野川電気鉄道(浅電)によって開業した路線である。富山県経済人を中心とする金沢堀川電気鉄道が先願していたが[3]、金沢市の平沢嘉太郎を中心とする石川県政財界人が出願した浅野川電気鉄道に対し1923年5月に鉄道敷設免許状が下付された。1925年5月10日に七ツ屋駅 - 新須崎駅(1961年廃止、現在の蚊爪駅 - 粟ヶ崎駅間に位置)間5.3km、翌年5月18日に金沢駅前駅(現在の北鉄金沢駅) - 七ツ屋駅間0.8km、1929年7月14日に新須崎駅 - 粟ヶ崎海岸駅間2.4kmを開業した[4]。浅電は1925年に粟崎遊園を開設し、粟ヶ崎遊園前駅をその近くに設置して利用者の便を図るなど、阪急電鉄に倣った多角経営を行っていた(遊園地は浅電社長に就任した平沢嘉太郎個人の事業として開園したが、後に浅電が引き継いだ)。
しかし、第二次世界大戦に突入すると、粟ヶ崎遊園地は軍の宿営地となり、粟崎遊園前駅 - 粟ヶ崎海岸駅間の線路も接収された。さらに、戦時統合で北陸鉄道(北鉄)に合併することが決まったが、当時の社長の藍元義範は合併条件を不満として拒否した。結局、社長を刑事事件で逮捕[5]した後の1945年に北鉄に合併され、同社の浅野川線となった。
戦後の1952年、粟ヶ崎遊園前 - 粟ヶ崎海岸駅間の線路は復旧され[4]、北鉄金沢市内線(1967年廃止)との直通運転も行われた。同時期に内灘砂丘に米軍試射場が作られる計画があがり、物資・人員輸送の専用線として粟ヶ崎遊園前駅から内灘砂丘方面に延伸された。しかし、内灘闘争の結果、1957年に返還となり専用線も廃止された。この路線は、後に移設する内灘駅に利用された。その後、1974年に港湾整備などのため内灘駅 - 粟ヶ崎海岸駅間が廃止された(ただし、粟ヶ崎遊園前(内灘) - 粟ヶ崎海岸駅間は夏季の海水浴シーズン中のみであり、1972年8月31日が最終運転である)[4]。