流派
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一般的に流儀・流派という技の伝承体系は前近代的な文物とされており、先進国においては多くの分野で近代的な教育制度にとって代わられている。この転換の大きな要因として、内容を門外に漏らさない秘密主義・秘伝主義による閉鎖性があり、異流派間では研究成果の交流も少なく研究成果の積み重ねもできず、無駄の多い研究環境を形成していたためである[8]。さらにこの流派の閉鎖性は、各々に集団的な個性や特徴をもたらす一方で、客観的な批判を遠ざけ[9]、技の質的差異が流派間で大きく広がる危険性を秘めていた。

近代に入ってもなお、旧来から流派による伝承を続けてきた伝統芸能の多くは、依然として流派を存続した。そのため、現代でも新たに流派が創設されることがある。一方で、元来の秘密主義・秘伝主義による閉鎖性や、行政機関の不干渉による管理不足から、一部では伝承や内容の偽造・捏造・盗用・技術不足、流派の分裂・乱立などが蔓延しているのも事実である。無論これらは江戸時代以前から発生していたことであるが、当時と比べて現代では流派そのものが実社会から隔絶されている伝承体系であるため、世間から関心や注目が集まりにくく、これらの不正が蔓延しやすい状況にある。

さらに現代では、残存流派の多くが長い歴史を持つ貴重な文化遺産であるため、技術や内容以上に「伝承すること」そのものが重要視されてしまう危険性もある。その流派の伝承する内容が実際に保存する価値があるかどうかを見極める必要性も生じてくる[9]。加えて、文化的・社会的背景の変化により、封建的な師弟の絶対的主従関係を基礎とする入門への難度が高くなったことで、継承者不足にも悩まされている。

さらに、当時の流派の内容は、科学批判を超えた信仰的秘密的技法を多分に含んでおり、これらを現代的な観念に適応させて継承していく必要もある[9]。具体的には、封建的理念や迷信的信仰の払拭、創始者の体験による前近代的な主観的信念を現代的教育理念へ転換することなどである[9]。実際に流派という体系は、その閉鎖性も相まって一種のカルト的妄信的側面を生じさせることがある。

なお、日本においてこれらの問題解決に向けて最も積極的に動いたのは武術界であり、江戸末期の竹刀稽古乱取りの考案をはじめ、明治以降の警視流日本剣道形の制定など、流儀・流派によらない在り方を模索した。その背景には、本来の対人的な戦闘技術としての在り方が流儀の閉鎖性によって大きく損なわれていたことや、近代化後の武士階級の崩壊により技の存在意義が問われたことなどがある[10]。現代武道はこれらの模索から生まれた到達点であり、多くの古武道流派から形を集め統合し、流派という体系を廃止して組織的に一元化させ、競技化を推進した[10]。そして、目的の主軸を体育的見地から解釈した精神修養や人格形成に置くことで、西洋スポーツ的な形で近代教育制度に組み込まれることに成功した[10]。例えば剣道柔道居合道杖道等における形(型)は、信仰的秘密的技法を介さない理路整然とした内容となっており、入門を必要とせず、誰もが自由に学ぶことができる(一方でこれらの方式には、各流派の特徴の消失や競技化一辺倒となったことへの批判が生じている)。

剣豪宮本武蔵は、1643年頃に成立した著書『五輪書』風の巻において、他流派の秘密主義・秘伝主義を批判し、さらに、我が流儀では誓紙や罰文などは好まない、と記している。また空手界では、遠山寛賢が、当時流派と名のついていたものの全ては、各々の修錬の中での差異であり、流派としては成り立つべきではないとして、無流派主義を掲げた。また日本建築家の中村昌生は、茶室に対して、「市民の茶に対する気持ちが、流儀を超えて、皆楽の境地になってもらえる施設でありたい」との願いから、茶道の一流一派に偏しない茶室「公共茶室」を提唱し、これを世界各地に創設した[11]。なお第二次世界大戦の最中には、茶道家元の一角から、各流各派の薄茶の点前を統一して、共通の点前作法を造ろうと提案されたことがあったが、それは失敗に終わっている[11]

さらに一部流派では、その閉鎖的環境から脱するために、入門を強制せず、書籍や映像などで内容を積極的に公開するものもあるが、これらが内容の偽造・捏造・盗用につながることも多く、問題の根本的な解決には至っていない。
脚注^ 「芸術・武術などの、その流派や家に昔から伝えられている仕方。流派」(スーパー大辞林より)
^ 『ビブリア 第80号、第82-85号』(天理大学出版部)157頁
^ 第3章 家元制度 趣味としての和算 江戸の数学(国立国会図書館)
^ 千宗左『茶の湯随想』(主婦の友社、2001年)52-53頁.
^ TETSUZAN KURODA La tradition en heritage, Premiere parution : "Dragon magazine n° 4", avril 2013, Shimbukan Kuroda Dojo Europe
^ 世界大百科事典「武道」より コトバンク
^ 三隅治雄『原日本・沖縄の民俗と芸能史』(沖縄タイムス社、2011年(1972年初出)),「流派輩出の契機」項より
^ 川本亨二「近世庶民の算数教育にみられる和算家像」(日本大学教育学雑誌第31号、1997)19頁
^ a b c d 水野忠文ほか「武道の流派(家元制)について」(日本体育学会、1968年)355頁
^ a b c 魚住孝至『武道の歴史とその精神 概説』(国際武道大学)
^ a b 中村昌生編『公共茶室』(建築資料研究社, 1994年) 5, 10頁.

関連項目

家元

宗家

徒弟制度

伝統芸能


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