戦後まもないある年の師走、川沿いの芸者置屋「蔦の家」には、老練で芸達者な主人と、彼女の娘の勝代、姪の米子とその娘の不二子が住んでいた。通いの芸者は最盛期には7人いたが、今は染香、なゝ子、蔦次の3人である。しばらく前までいた雪丸は旦那を持って出て行き、なみ江は借金を踏み倒して失踪してしまった。そのなみ江の叔父の鋸山 (千葉の鋸山の石工)、主人の姉で米子の母親の鬼子母神(下谷の鬼子母神に住んでいる高利貸)などが頻繁に出入りしている。そうした「くろうと」の世界に、「しろうと」である中年の後家、梨花が住み込み女中として勤め始めた。「梨花」は言いにくいからと主人に「お春」と呼ばれるようになる。華やかな花柳界の様々な出来事が梨花の眼を通して淀みなく語られていくが、梨花は大みそかに風邪をこじらせ、従姉の家で静養した。七草明けには回復して蔦の家に戻り、再び日常が始まるが、蔦の家の凋落は日に日に明らかになっていく。川向うの料亭の女将なんどりや、秘書役の男性佐伯などが新たに登場し、主人一家や芸者たちの人間模様が赤裸々に綴られる[8]。 1904年 (明治37) 東京府南葛飾郡寺島村(現在の東京都墨田区東向島)に生まれた幸田文は、6歳で実母を亡くし、継母はリュウマチがあったため、早くから家事を行っていた。24歳で結婚し翌年娘を生むが、34歳の時に離婚し娘と共に実家へ戻った。父・幸田露伴から文学の手ほどきを受けていたが、1947年 (昭和22) 父が亡くなると、父の思い出などを文章に綴り発表していた。1951年 (昭和26) 職探しをして11月に台東区柳橋の芸者置屋「藤さがみ」に住み込みの女中になる。しかし12月下旬に体調を崩し、翌1月に自宅に戻り2カ月余り床に臥せった[9]。 『流れる』ではこうした自身の体験を軸に、幼いころから親しんだ隅田川沿いの風景と町並み、人々の暮らしぶりを背景にして物語が進んでいく。幸田文は父親に関する文章を綴っているが、「親の血だの、筋だのといわれると息が詰まって、なにかやたらと謀反気がおき、何処か別のところで安気な呼吸がしたく、若気のいたりで勤め口をさがしたのが、川を下ったそこだった」と後に記している[10]。 タイトルの「流れる」について作者は、「しあはせになつてあちらの方へ遠く離れて行くのを見送つてゐること」のように思われる、と書いている[11]。また幼いころから川に親しんでいた作者は、川にかかる橋の手前でいつも止って周りの景色を眺めており、「水は流れるし、橋は通じるし、「流れる」とは題したけれど、橋手前のあの、ふとためらふ心には強く惹かれてゐる」とも書いている[12]。 『幸田文全集 第23巻』所収「著作年表」[13]及び国立国会図書館NDL-Onlineより編集。
背景
発表・出版年譜
1955年 (昭和30年) 1月?12月 「流れる」の題名で『新潮』に11回に渡り連載。
1956年 (昭和31年)
2月 新潮社から単行本『流れる』刊行。NDL
11月 新潮小説文庫『流れる』刊行。NDL
1957年 (昭和32年) 12月 新潮文庫『流れる』刊行。NDL
『幸田文全集 第23巻』所収「年譜」[5]より編集。
1956年2月、朝日放送「パンドラタイム」で4回に渡りラジオ放送された。出演は山本安英、水谷八重子、岸田今日子、杉村春子、荒木道子、東山千栄子、中村伸郎他[14]。
1957年2月、新橋演舞場で新派大合同二月公演として『流れる』が上演された。脚本・演出は飯沢匡、出演は花柳章太郎、水谷八重子他[11]。
1958年1月、NHKラジオ第二放送で「新年特集」として『流れる』が放送された。出演は加藤幸子、杉村春子、奈良岡朋子他。
1961年2月、東京テレビでテレビドラマ『流れる』が放映された。出演は乙羽信子、岸田今日子他。
小説・上演史の脚注^ 『幸田文全集 第23巻』岩波書店、1997.2、pp544, 567-571
^ 「流れる」『日本文芸鑑賞事典 近代名作1017選への招待 第16巻(昭和26?30年)』 pp.247-258、ぎょうせい、1987年
^ 文学賞の世界
流れる
監督成瀬巳喜男
脚本田中澄江
井手俊郎
製作藤本真澄
出演者田中絹代
山田五十鈴
高峰秀子
音楽斎藤一郎
撮影玉井正夫
編集大井英史
『流れる』は、1956年に公開された日本映画。製作、配給は東宝。モノクロ、スタンダード。 ストーリーはほぼ原作のまま受け継がれている。 この時期の成瀬は、前年に公開された『浮雲』でキャリアの頂点を極めていた。他の作品でも見られる、女性を中心に人物を情感豊かにリアルに描く手腕は、本作でも遺憾なく発揮された。特に本作では、大勢の登場人物それぞれに明確な個性を色付けしており、キャスト連の迫真の演技と相まって肉厚で豪華な作品となっている。 キャストには田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子という日本映画界を代表する名女優を三枚看板に擁し、岡田茉莉子、杉村春子、中北千枝子、賀原夏子らが脇を固めた。
企画・制作