活版印刷
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日本へは13世紀末に活字を用いた活版印刷の技術が伝わり、江戸時代の直前から初期に至って印刷物が認められる(キリシタン版嵯峨本など)。

ヨーロッパでは1445年頃にヨハネス・グーテンベルクが活版印刷術を最初に行ったとされる(その印刷書籍は聖書であった)。アルファベットは26文字しかないため、漢字文化圏に比べて活字の数も少なくて済むという利点があった。

一方で、中国・日本のような漢字文化圏においては、文字種が膨大であることや、崩し字が活版印刷に向いていないことから、活版印刷が普及しなかった。ただし、中国や日本では木版印刷が普及しており、18世紀ごろまでは出版物の部数は活版印刷が普及した欧米を上回っていた。また、活版印刷が廃れたわけではなく、江戸時代中期の日本『ハルマ和解』のオランダ語部分を活版印刷で印刷している。

江戸幕末期の西洋式活版は、安政3年(1856年)に長崎奉行所の西役所でオランダの器械を用いたのが最初である。安政4年(1857年)、江戸幕府の洋学所・蕃書調所においてスタンホープ手引印刷機[注釈 1]を用いた印刷が行われた。万延元年(1860年)には洋文書物『ファミリアル・メソード』が印刷され、文久年間には邦文活字も作られて二十数部の書籍が版行された。洋学書、翻訳書の復刻版、翻訳新聞の三種である。この翻訳新聞[注釈 2]が日本最初の活字新聞である。[4]

その後、出版部数の増大や紙型の発明により、19世紀末より漢字文化圏においても、活版印刷が普及した。
今日の活版印刷

活版の技術は、以降改良を加えられながらも5世紀にわたって印刷の中心に居続けた。改良と言ってもそれらは活版印刷の原理に直接踏み込むものではなかった。しかし、写真植字(写植)とDTP(デスクトップ・パブリッシング)化がその命脈を途絶えさせた。デジタル製版が可能になり、20世紀末以降の日本では活版印刷は絶滅に近い。名刺はがき程度の印刷を担う印刷業者はあるものの、本を一冊分、というような会社はほとんどない。

日本では21世紀初頭にかけて、活版印刷所が相次ぎ廃業し、使っていた機械が廃棄された。だが2019年時点でも、手作り感などを求めて活版印刷を請け負う企業や工房があり、愛好者を交えたイベント(西日本を対象とした「活版WEST」)が開催されている[5]活版印刷に使われる活字日本語の活字は膨大な数になる
工程1955年3月頃。日本の新聞社の植字作業室[6]

活版印刷で書籍を組んで刷るということは、単に版面を構成する文字を並べるだけでも膨大な数の活字が必要になる。これはアルファベットでもそうであるし、日本語中国語など字種の多い文字言語においてはより顕著である。また、行間や余白は写植・DTPにおいては文字どおり「何もない空間」であるが、活版ではインテルやクワタなどの込め物によって詰められた、まさに「充満した空間」なのであって、それらがまた金属(あるいは木)であるゆえにその分の重量も半端なものではない。さらに大量印刷の為には原版刷りではなく、紙型を取って複製する設備なども必要であるなどの特徴がある。これは、印刷そのものよりも手前の工程において、大量の資材と人手を要することを意味する。

活版印刷をする際には、まず印刷しようとする原稿と、印刷に必要な活字を用意する。ただし和文の場合は文字が膨大に存在するため、あらかじめ使う活字だけを用意しておく(文選)。その後、適切な活字を選択し、インテルなどとともに原稿に従って並べる(植字)。組版ステッキ上に並べていき、数行ごとにゲラに移しながら版全体を作り上げていく。なお、文字ごとに大きさの違う数千種以上の活字から適切なものを選択し、印刷寸法に応じた枠内に適切に配置するには、高度な訓練が必要である。版全体が組み上がったら、バラバラにならないよう糸で全体を縛る(結束)。その後誤植がないか確認するため試し刷りを行い(校正刷り・ゲラ刷り)、校正の結果、間違いがなければ印刷機に取り付けて印刷する。印刷後はインクを落とし、活字ごとに版をバラバラにして片付ける(解版)。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 嘉永2年(1849年)にオランダ江戸幕府に献上した
^ バタビアのオランダ総督府の機関誌『Javasche Courant』の中の外国記事の翻訳

出典^ 活版、コトバンクより
^  沈括 (中国語), 『夢渓筆談』巻十八 技藝, ウィキソースより閲覧。 :「慶暦中,有布衣畢昇,又為活版。其法用膠泥刻字,薄如錢唇,毎字為一印,火燒令堅。先設一鐵版,其上以松脂臘和紙灰之類冒之。欲印則以一鐵範置鐵板上,乃密布字印。滿鐵範為一板,持就火煬之,藥稍鎔,則以一平板按其面,則字平如砥。若止印三、二本,未為簡易;若印數十百千本,則極為神速。常作二鐵板,一板印刷,一板已自布字。此印者才畢,則第二板已具。更互用之,瞬息可就。」
^ 漆侠編『遼宋西夏金代通史 四』第四章四
^ 古賀謹一郎 万民の為、有益の芸事御開、184頁
^ 【特集】紙の力「効率悪くても気持ちいいコミュニケーション デジタルも融合した「21世紀の活版印刷」桜ノ宮 活版倉庫『ビッグイシュー』359号掲載(2019年6月17日閲覧)。
^ 『サンケイグラフ』1955年3月27日号、産業経済新聞社。

参考文献

小野寺龍太『古賀謹一郎 万民の為、有益の芸事御開』2006年。


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