活動弁士
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戦前には娯楽が少ない中で映画がその中心を占め、活動弁士もその状況に応じて活躍するようになり、西村楽天、徳川夢声大蔵貢生駒雷遊[注 3]、國井紫香、静田錦波谷天郎山野一郎牧野周一、伍東宏郎、泉詩郎、里見義郎、松田春翠大辻司郎のような人気弁士も現れるようになった。弁士に対して歌舞伎のような礼賛の掛け声がかかることがあった[注 4]

弁士は舞台上でななめに構え、奥のスクリーンと観客席を交互に見ながら語った。このため当時の映画館には必ず舞台があった[注 5]

しかし、映画の技術が発達して音声が入るトーキーが普及、さらに1931年(昭和6年)以降の洋画に日本語字幕が入る[1]ようになると、次第に活動弁士は不要となってしまう。このため、大半の活動弁士が廃業に追いこまれ、その多くが漫談講談師紙芝居司会者、ラジオ朗読者などに転身した。活動弁士には映画の解説を行う際に話術が高く要求されるため、その優れた話術や構成力がそのままタレントなどとなっても活かせたのである。なかには大蔵貢のように、映画会社の経営者に転身した者もいる。

一方で、須田貞明(黒澤明の実兄)のように転身を図ることもできず、ストライキによる待遇改善の要求に失敗、精神的な挫折により自ら命を絶った者もいた。

1932年4月、東京浅草松竹系映画館でトーキー化による生活不安と活弁・楽士の解雇反対ストライキがあった[2]
活動弁士の現況

現在でもサイレント映画を上映する映画館は少なからず存在し、その上映のために活動弁士も少なからず存在している。現在の活動弁士として、澤登翠とその弟子の桜井麻美、縁寿片岡一郎(以上2002年に澤登翠に入門)、麻生八咫とその娘の麻生子八咫、その他に佐々木亜希子映画監督と活動弁士を兼業している山田広野、古典作品及び自作アニメに活弁を付ける坂本頼光などが東京を中心に活動している。また、大阪では井上陽一、大森くみこなどが活動している。特に坂本、大森は近年寄席への出演機会が多くなっており、坂本は2022年9月より江戸落語の団体である落語芸術協会色物として入会している。

しかし、活動弁士を生業として、それのみで生活できるのは現在では澤登翠などごくわずかであり、大半の活動弁士は、山崎バニラや大森くみこのように声優ラジオパーソナリティとしてのメディア出演や、山田広野のように映画監督など、副業を持っている場合が多い。
おもな現役の活動弁士

澤登一門

澤登翠マツダ映画社所属)

片岡一郎

山城秀之

樗澤賢一

武藤兼治

尾田直彪

縁寿(斎とう組所属)

山内菜々子

桜井麻美


麻生一門

麻生八咫

麻生子八咫


東京

山田広野

坂本頼光

佐々木亜希子

山崎バニラ


大阪

井上陽一

大森くみこ


その他

日本領だった台湾や朝鮮には弁士が存在した。台湾では弁士の旧字体ないし
繁体字(正体字)で「辯士(bianshi)」と表記され、使用言語は台湾語客家語などである[3]。また朝鮮では朝鮮語を使用し、弁士をハングルもしくは漢字表記にて「??(辯士、ピョンサ、byeonsa)」と表記された。

活動弁士から、一般的に使われる用語がある。「これにて一巻の終わり」などがそうである[4]

脚注[脚注の使い方]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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