活動写真
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11月25日には、高橋によって神戸市花隈の神港?楽部で日本初の活動写真興行が催される[1]

同じ頃、フランスに渡っていた稲畑勝太郎は同窓生であったオーギュスト・リュミエールから2台の「シネマトグラフ」を購入していた。また、この年、荒木和一が「ヴァイタスコープ」(キネトスコープの改良型。スクリーン投射可能)を輸入し、その機械に「活動写真」と命名したと言われる。

明けて1897年(明治30年)2月15日には、フランスから帰国した稲畑勝太郎がシネマトグラフの映像を大阪市戎橋通りの南地演舞場で上映した。日本初の「映画興行」である。3月6日には、東京市の「新居商会」によって、神田錦輝館で「電気活動大写真会」と銘打ち、ヴァイタスコープによる興行も行われた。

日本で国産第一号の活動写真が公開されたのは、1899年(明治32年)6月20日、東京歌舞伎座である。『芸者の手踊り』という題のドキュメンタリー映画だった。 劇映画の第一号『稲妻強盗』は同年9月に製作された。日本の映画俳優第一号は、この作品に出演した横山運平だと言われている。
おもな活動写真会社

広目屋 (日本率先活動写真会)

福宝堂吉沢商会M・パテー商会横田商会 - 日活

小松商会

東京シネマ商会

三友倶楽部 - 東洋商会 - 天然色活動写真 - 山川興行部 - 帝国キネマ演芸 - (東邦映画製作所アシヤ映画製作所) - 新興キネマ

常盤商会 - 天活 - 小林商会 - 国際活映 - 河合映画製作社 - 大都映画

東洋フィルム - 大正活動映画トーマス・栗原谷崎潤一郎

映画芸術協会帰山教正

松竹キネマ - 松竹蒲田撮影所 - 松竹下加茂撮影所 - 松竹大船撮影所

小笠原プロダクション小笠原明峰三善英芳

活動写真資料研究会 - タカマツ・アズマプロダクション

衣笠映画連盟衣笠貞之助

連合映画芸術家協会直木三十五

ミカド商会 - 牧野教育映画 - マキノ・プロダクション - 正映マキノキネマ - 宝塚キネマ興行 - エトナ映画社 - マキノ・トーキー

不二映画社鈴木傳明岡田時彦高田稔渡辺篤 - 上森健一郎・川口松太郎

阪東妻三郎プロダクション - 大日本(東洋)自由映画プロダクション阪東妻三郎

嵐寛寿郎プロダクション嵐寛寿郎

入江ぷろだくしょん入江たか子東坊城恭長

甲陽キネマ - 東亜シネマ - 東活映画社(東活)

J.O.スタヂオ

市川右太衛門プロダクション

福井映画

森本プロ

赤沢映画

脚注^ のじぎく(p.22-23)

関連事項

ウィリアム・K・L・ディクソン - キネトスコープの発明者

活動弁士

小西本店 - ゴーモン社製のムービーカメラを輸入、日本初の映画を実験的に製作

浅野四郎 - 日本初の撮影技師

駒田好洋 - 日本初の商業公開用の映画、および日本初の劇映画の製作者

撮影所

吉野二郎

花柳はるみ - 日本初の映画女優(従来は「女形」が女役を演じた)

大映 (トーキー時代の1942年、日活・新興・大都の3社統合で設立)

参考文献

『神戸新開地物語』のじぎく文庫、1973年12月10日。 


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