洞川温泉
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洞川(どろがわ)は山上川ともいい、大峯山脈を源流として天川村北部を縦断して熊野川へ流れる一級河川で、洞川温泉はこの川沿いにある[3]。歴史ある純和風木造建築の旅館民宿などの宿泊施設が20数軒、土産物店、陀羅尼介丸の製造販売店13軒、その他商店が軒を連ねる[1]

大峯山は女人禁制の修験の山であり、門前町として夏期には山上ヶ岳の蔵王堂をめざす修験者や参詣者で非常に賑わう。夏季の避暑地としても有名で、寒暖の差が大きいことから紅葉の名所にもなっている[2]

役行者の高弟「後鬼」の子孫の里とも伝えられる[4]。全国的に女人禁制の山岳への登山口でよくみられたことであるが、戦前まで旅館街の一部地域は遊廓の機能を有していた。

毎年8月2日3日には「行者まつり」が催される。島流しにされた役行者がのちに晴れて無罪となり帰ってきた際に、洞川の人々が歓喜して出迎えた様子を伝える奇祭である[5]
泉質

2008年(平成20年)4月から新源泉を使用している[2]

26°Cの弱アルカリ性単純泉。神経痛リューマチ、筋肉痛、関節痛、運動麻痺、慢性消化器病、冷え症、疲労回復等に効能がある[1]
温泉街温泉街天川村営の「洞川温泉センター」(旧施設)桝源旅館

純和風木造建築の旅館、民宿が軒を連ね洞川温泉郷を形成する。集落の中を大峯山への参道が通り、その両側に約20軒の2階建ての風情ある旅館が建ち並ぶ。

1993年(平成5年)に日帰り入浴施設の洞川温泉センターが整備されたが老朽化していた[6]。そのため後方の敷地に日帰り入浴施設と観光拠点を兼ねた洞川温泉ビジターセンターが建設され、2024年(令和6年)4月25日にオープンすることになった[6]
歴史

温泉そのものの歴史は浅いものの、大峰講の宿場としての歴史は古く、その起源は役小角に従った後鬼の末裔によって起こされたと伝承されている。
アクセス

バス:
近畿日本鉄道吉野線下市口駅から奈良交通バスで約1時間の「洞川温泉」下車。1?2時間間隔で運行されているが、季節によって運休となる便がある。

車:国道309号川合交差点の東から奈良県道21号大峯山公園線で虻トンネルを越える。または下市町から奈良県道48号洞川下市線を南下して小南トンネルを越える。他にも川上村の国道169号から分岐する林道経由という方法もある( ⇒天川村の地図)。

周辺五代松鍾乳洞

洞川温泉の周辺はカルスト地形で鍾乳洞も多く、特に面不動と五代松の両鍾乳洞は奈良県の天然記念物である[2]。天川村は国土交通省の水の郷に選定されており、近くにある「ごろごろ水」を含む洞川湧水群は環境省名水百選に選ばれている[2]

龍泉寺 (奈良県天川村)

スノーパーク洞川

みたらい渓谷

天河大辨財天社

栃尾観音堂

蛇の倉

洞川八幡宮

かじかの滝

洞川湧水群 - 1985年昭和60年)7月日本名水百選に認定された[7]

かりがね橋

母公堂

脚注^ a b c洞川温泉観光協会
^ a b c d e “ ⇒天川村”. 吉野彩々<よしのさいさい>奈良県吉野郡商工会. 2024年4月19日閲覧。
^ “かわの情報誌 さらさ 2020秋号”. 国土交通省近畿地方整備局. 2024年4月19日閲覧。
^ “ ⇒洞川温泉観光協会公式サイト”. 2018年9月10日閲覧。
^ 行者祭り - 2010年の奈良の実景
^ a b “奈良県天川村の「洞川温泉ビジターセンター」4月25日に新築オープン ぬくもり感じる木造平屋 四季の魅力発信”. 奈良新聞. 2024年4月19日閲覧。
^洞川温泉観光協会 名水百選 ごろごろ水

外部リンク

大峰山 洞川温泉観光協会

大峰山洞川温泉郷

吉野郡公営宿泊温泉施設事務連絡協議会ホームページ










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