この作品は批評家や学者から非常に好評だった。早くも1557年にロドヴィーコ・ドルチェ
(英語版)は「デザインや色彩の面で、これほど美しく、より良いものを見たことはありません」と断言した。ナポレオン時代の1808年、教会の世俗化によって絵画はサンタ・マリア・マッジョーレ教会から撤去され、ブレラ美術館へ移管されるところをアカデミア美術館の抗議によって回避され、同美術館に移された[1][2]。マドリードのプラド美術館とエル・エスコリアル修道院にティツィアーノのキャリアの後期に位置づけられているバージョンが所蔵されている。そのうちエル・エスコリアル修道院版は1577年にスペイン国王フェリペ2世によって修道院に贈られた作品である。以前は無視されるか追随者に帰属されるかしていたが、1999年の修復後は1560年代後半の直筆画であると主張されている[2]。プラド美術館版は19世紀にかつて存在したトリニダード美術館
(スペイン語版)に17世紀のスペインの匿名の画家の作品として収蔵されたのち、スペイン南部カントリア(スペイン語版)のヌエストラ・セニョーラ・デル・カルメン教会(church of Nuestra Senora del Carmen)に送られたもので[6]、2007年から2012年にかけてプラド美術館で修復された[2]。これらの3点の『洗礼者聖ヨハネ』は2012年にプラド美術館で展示された[2][6]。
表
話
編
歴
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
世俗画
『田園の奏楽』(1509年)
『アドニスの誕生』(1505年-1510年頃)
『ポリュドロスの森』(1505年-1510年頃)
『合奏』(1510年頃)
『眠れるヴィーナス』(共作、1510年頃)
『懇願』(共作、1510年頃)
『恋人たち』(ティツィアーノ帰属、1510年頃)
『人生の三世代』(1512年-1514年)
『聖愛と俗愛』(1514年頃)
『神々の饗宴』(1514年頃)