注音符号(ちゅういんふごう、ちゅうおんふごう、繁: 注音符號、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Zhuy?n Fuhao チューインフーハオ)とは、中国語の発音記号の一つ。現在は主に台湾で用いられる。先頭の四文字「????」からボポモフォ (bopomofo) とも呼ぶ。 注音符号は古代の篆書・古文などから字形の簡単なものを取って表音文字として使うもので、1文字から3文字で(声調を除く)中国語の1音節を表すことができる。中国大陸における中華民国期に制定された。中華人民共和国では漢語?音が使われ、注音符号はほとんど使われていないが、台湾では今でも現役で使われている。 現在の注音符号は声母(音節頭子音)21字と韻16字の37文字からなる。日本語の仮名に似た文字もあるが、仮名と違って音節文字ではない。また、仮名が草書体や漢字の偏旁の利用によって作られているのに対し、注音符号は古代の文字をそのまま利用している。たとえば?音の zhu?ng という音節であれば、声母の zh を表す ?、介母音の u を表す?、韻の ang を表す ? によって ??? と記すことができる。 日本の仮名と同じく、漢字につける振り仮名のように用いることができる。台湾では初等教育の初期からこれを習い、キーボードや携帯電話・スマートフォンの入力に用いる。電報にも使えるようにコード化されている(電碼参照)。 台湾で定められた文字コードセットである Big5 にも、中国大陸の GB 2312 とその後継規格にも収録されており、Unicode 1.0.0では U+3105 から U+312D に割り当てられているので、コンピュータやインターネットでも使用できる。 ローマ字による表音を「国語注音符号第二式」(どのローマ字方式を使用するかは時代によって異なる)と呼び、それに対してここでいう注音符号を「国語注音符号第一式」とも呼ぶ。単に「注音符号」と言えば第一式のことである。 清末になると、中国語のための表音文字を提案したり、実際に使用したりする者が多く現れた。 注音符号のアイデアのもとになったのは章炳麟が1906年に日本で書いた「駁中国用万国新語説」であった[1]。この文は「漢字は難しいからエスペラントに変える」という説に反論する主旨の文章だが、その中で『説文解字』に見える篆書・古文・籀文から形の簡単なものを取って、中国語の伝統的な音韻学の紐・韻のための字として使う、という説を述べ、実際にその字を定義した。 辛亥革命の直後、1913年に中国語の標準的な音を定めるための読音統一会が、呉敬恒を議長として開かれた[2]。このときに作業用に用いた「記音字母」は、当時の教育部にいた周樹人(魯迅)・許寿裳・銭稲孫らが考案したものだが、彼らはいずれも浙江省出身者で、清末に日本へ留学して章炳麟に学んだ仲間であり、記音字母も章炳麟の提案に従っていた。ただし章炳麟の作った字をそのまま使ったものはそれほど多くない。読音統一会は最終的にこの記音字母を正式な表音文字として採用することを決定し「注音字母」と命名した。 読音統一会の作業は政局の変転によってそのまま放置されていたが、1918年になってようやく正式に公布された。このとき注音字母は「国音字母」と命名された。当時の字母は39文字で、配列も今とは異なっていた。翌1919年には『国音字典』が刊行され、配列が現在と同様になった。1920年には「? [o]」から「? [?]」を分けて40文字になった。 国民革命後の1930年に国音字母は「注音符号」と改められた。読音統一会で定めた標準音は実際の北京の発音と大きなへだたりがあったため、北京音を基準にした新しい国音が定められた。このため不要になった「? [v]・? [?]・? [?]」の3文字が1932年に取り除かれ、37文字になった。
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