「注」は、主に漢から魏晋の頃、そして南宋の頃に数多く作られた。漢から魏晋の頃の注釈を総称して「旧注」といい、南宋以後に朱子学の影響下で作られた注釈を「新注」という。
注の形式は、当初は注が経文から独立して単行していたようだが、後漢の馬融の『周礼』注以後、経文の間に注釈を差しはさんで書く形式が一般的になった[2]。 経文と注文を合わせて再度解釈を付したものが「疏」(義疏・講疏・述義・正義とも)である。疏は、まず南北朝時代に盛行し、これが唐の『五経正義』などに結実し、北宋に『十三経注疏』として整理された。この頃の疏を特に「義疏」と呼ぶ。義疏とは、経書に限らず、仏教経典や道教経典に関する疏を含めた名称である。「注疏」という場合はもっぱら儒教経典、特に経書に関する注釈書を指し、また南北朝時代には限らない。 注疏の形式は、疏文だけが独立して記される「単疏本」と、経文の間に注文・疏文がはさまっている記される「経注疏合刻本」の二種類がある[3]。 その後、清代に入って新たな疏を作る動きが生まれ、新しい疏が数多く著されることとなった。 清代に入り、考証学が盛んになると、新たに進展した経書研究をもとに新しい疏を作ろうとする機運が高まり、個人の学者の手によってそれぞれの経書に対して再び疏が作られることとなった。 清代の注疏も数多く存在するが、ここでは、中華書局の「清人十三経注疏」というシリーズに整理された一連の著作を記す[4]。 経書書名著者
疏
南北朝期の注疏「義疏」も参照
清代の注疏
周易『周易集解纂疏』李道平
尚書『尚書今古文注疏』孫星衍
『今文尚書考証』皮錫瑞
『尚書孔伝参正』王先謙
毛詩『詩毛氏伝疏』陳奐
『毛詩伝箋通釈』馬瑞辰
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話
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経書と注釈書
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