泛藍連盟
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それ以降、現在に至るまで泛藍連盟は具体的な独自の中台再統一案を打ち出せておらず、2004年の総統選挙における対中華人民共和国政策の指針についても、台湾独立でも中台統一でもない台湾優先による現状(中国の主権独立国家「中華民国」)を維持し、ミサイル配備凍結、海空の直航便実現、自由貿易協定(FTA)締結、平和協議実現などの五段階の和平ルートマップを中華人民共和国に提案することを主張するのみにとどまっている。そのため、現在の連盟は中台関係よりも国民の生活に直結する経済復興の最優先を基本とし、中台関係については「今後の明確なタイムテーブルはない」(3月17日の記者会見における発言)という姿勢をとり続けるのみである。
連盟の現状

国民党、新党は、いずれもかつては国民党としてまとまった勢力であった。だが、1990年代に李登輝総統兼国民党主席が中華民国の国家体制を台湾のみに限定する「政治体制の台湾化」を行なうようになってからそれぞれに分裂するようになった。まず1993年には、外省人の若手二世議員らが「国民党が権力闘争に明け暮れている」ことと李登輝の政策について批判を行い、「正統国民党」と称する新党を結成した。次に、李登輝の「国家体制の台湾化」によって李登輝と宋楚瑜との間に対立が生じ、宋楚瑜とその一派は2000年に離党して同年の総統選挙に宋楚瑜が立候補した。総統選で宋楚瑜は、李登輝の「台湾化」路線を支持する民主進歩党泛緑連盟)の陳水扁、当選後の路線方針が不明確な国民党の連戦に対抗して李登輝の「台湾化」路線に対する反対意見を訴え、得票数で当選した陳水扁に僅差にまで迫るほどの支持を得た。その後、宋楚瑜は支持者と共に親民党を結党して第三極の泛橘連盟を確立、選挙後に李登輝が選挙結果の責任をとるために国民党を離脱すると、国民党の連戦・新主席が李登輝の「台湾化」路線を修正して「中国の国家」としての中華民国を再び志すようになったため、親民党は泛藍連盟寄りになって国民党と協力をしあうようになった。2004年の総統選挙では、国民党・親民党の両党首(連戦と宋楚瑜)を総統・副総統候補に立てたが、僅差で民進党の陳水扁総統候補に敗れた。国民党、親民党は緊密な協力関係下にあり、連盟2党は勢力の再拡大を目的として再び国民党として統合しようという動きを見せているが、各党でさまざまな意見が生じているので統合の動きは活発化していない。

野党になっていた泛藍連盟にとっての焦点は、2008年の立法委員選挙においてどれだけの議席を確保できるかにあった。民主進歩党陣営には、「選挙結果によっては国民党内部にいる泛緑連盟の主張に同情的な『台湾本土派』勢力が離党する可能性もある」といった楽観視もあったが ⇒[1]、統一派や中国とのイデオロギー対立に終始する民主進歩党政権より、大陸との協力による経済発展政策を打ち出した泛藍連盟への支持が上回り、国民党は第七回中華民国立法委員選挙2008年中華民国総統選挙で歴史的圧勝を収めた。とは言え、政権を奪還した国民党の馬英九総統は早急な中台統一を否定しており、中国との関係は経済レベルでの融和にとどめる方針を示した。そして第八回中華民国立法委員選挙2012年中華民国総統選挙でも勝利を収め、大陸との協力による経済発展政策は引き続き支持されている。2012年1月時点で連盟は立法院における議席を、対立する泛緑連盟より多く獲得している状況にあるほか、連盟の主張は泛緑連盟の主張と国論を二分するほどの支持を得た。

しかし2016年中華民国総統選挙では、民主進歩党の蔡英文に大敗を喫し、立法院でも過半数の議席を失った。
関連項目

中華民国の政治

中華民国の政党一覧

中華民国総統選挙

中華民国立法委員選挙

台湾問題

泛緑連盟

中国民主化運動

中華人民共和国


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