法解釈
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^ 文理解釈・立法的解釈の重要性を説く文脈において、石坂説による創始という経緯を省いて、判例・通説の解釈論は我妻栄の体系書に書かれていることであると説明されることもある。内田貴『民法改正:契約のルールが百年ぶりに変わる』(ちくま新書、2011年)140頁
^ 条文の項(段落)の文章が二文で成るとき、一文目を前段、二段目を後段と呼ぶ。長谷川(2008)
^ 例えば、民法第1編中の「代理」に関する規定はその最大部分をドイツ民法草案に拠ったものであるにもかかわらず、その最大の特徴である授権行為の思想を採用していないが、実際上外国法を継受して成立した法典においては、時として妥協の産物により、必ずしも十分な理由なくしてある部分に付き重要な一部を排除した例もまた少なくない。富井(1922)95頁、仁井田ほか(1938)23頁。そこで、法典が明文上ドイツ民法の主義を採用しなかった事実を重視するのであれば、民法典は当該部分につきフランス法の主義(委任説)を採用していることになると考えられるが、ローマ法からフランス法・ドイツ法へと続く代理制度の歴史的沿革を考えるときは、代理権限は委任契約のみから生じるものとは限らず、労働契約や組合契約によっても生じうるものであるから、委任契約と代理権授与とは別物である(単独行為説)ことが初めて明確に意識されたのはドイツ法においてであるから、日本民法がこれを採用しなかったことに必ずしも合理的な理由があるとはいえず、その不備を認めて類推解釈によって是正する理論的基礎が肯定されうるわけである(→#論理解釈の典型例)。牧野(1924)75頁、富井(1922)96頁、仁井田ほか(1938)23頁
^ 石坂・鳩山・末弘はいずれも著作において極端な母法及び沿革の重視に疑問を述べる点で共通するが、ドイツ法学の摂取のあり方には差異があり、石坂と鳩山の差異を強調するものとして、末弘厳太郎・穂積重遠・牧野英一・我妻栄「鳩山先生の思い出」鳩山(1955)462頁(牧野発言)、石坂・鳩山と末弘の差異を強調するものとして、星野(1986)227-232頁。もっとも、沿革の認識自体には大差ない。星野(1970)72頁。各人の認識につき、石坂音四郎鳩山秀夫末弘厳太郎参照
^ 日本国憲法第76条3項の規定する、裁判官を拘束する「法律」は、形式的意味の「法律」(日本国憲法第59条)に限られず、政令・規則・条例・慣習法などを含む意味に解されているが、立法資料まで含まれるとは説かれないのが一般である。伊藤(1995)578頁、佐藤幸治『憲法』第3版(青林書院〈現代法律学講座〉、1995年)328頁、長谷部恭男『憲法』第4版(新世社〈新法学ライブラリー〉、2008年)327頁
^ 抽象的に正しい解釈を観念することは可能であるとの主張もある。渡辺洋三『法社会学と法解釈学』(岩波書店、1959年)148頁、星野(1970)42頁、前者はマルクス主義、後者は自然法論を前提とする。田中(1994)357-358頁。日本での法解釈論争については来栖三郎 (法学者)星野英一甲斐道太郎平井宜雄参照
^ こうしたフランス法学の傾向は、特にナポレオン失脚後の王政復古期において極限に達する。金山(2003)144頁。法学教育への政治的干渉がなされたことから、法解釈は註釈の枠に閉じこもり、ひたすら平穏を願わなければならなくなったのである。金山(2003)144頁
^ 演繹的・抽象的性格の強い法体系の下においては、法の形成と発展は、個々の具体的紛争の解決を主眼とする弁護士よりも、法学者や司法官僚(裁判官や検察官等)によって担われがちだからである。村山・濱野(2003)31頁、金山(2003)156頁
^ フランスでは自由法論といわずに科学学派というが、日本語では特に区別せず自由法論と呼ぶのが一般である。牧野(1944)105頁
^ ただし、ナチス刑法においては教育刑論は否定されている点に独自の特色があり、牧野英一はこれを支持していない。牧野(1941)247-255頁、潮見・利谷(1974)263頁
^ サレイユ自身は、ジェニーの学説との差異が必ずしも大きいものではないことを強調している。牧野(1936)65頁
^ 刑法においては、特に自由保障機能と法益保護機能の調和の問題となって現れる。大塚(2008)3頁、藤木(1975)45頁、裁判所職員総合研修所(2007)7-8頁、日本国憲法第31条参照
^ 刑事訴訟法においては、特に適正手続と真実発見の調和の問題となって現れる。団藤重光『新刑事訴訟法綱要 七訂版』(創文社、1967年)27-29頁、日本刑事訴訟法第1条参照
^ 民事訴訟法においては、訴訟手続の適正公平と、訴訟経済・迅速な裁判実現の調和の問題となって現れる。兼子一『民事訴訟法体系 増訂版』(酒井書店、1965年)36頁、日本民事訴訟法2条参照
^ ヒトラーナチ党は法的安定性を軽視して民族共同体という目的を強調し、一方ムッソリーニファシスト党は法の権威を誇示するために法的安定性を押し付けようとしたのであって、ファシズムのような権威主義が同じ法解釈の傾向を示すとは限らない。団藤(2007)234頁
^ 加藤雅信の調査によれば、アメリカと日本における契約意識ないし法律意識は、川島やルース・ベネディクトが考えていたような対照的なものではなく、共に世界の平均である(ドイツ・フランスよりも日米の契約遵守度は高い)。加藤(2007)557頁
^ 日本の裁判外紛争解決制度である調停制度自体が、アメリカを範として成立したものと考えられている。牧野(1936)20頁。ドイツでも、1924年の司法制度改革に際しては、裁判に依らない紛争解決に積極的な評価が与えられている。ラートブルフ(1964)196頁。これらの制度は、自由法論が目指した具体的妥当性の実現という理想と歩調を合わせるものとして積極的に理解すべきであるとも主張されている。牧野(1936)24頁
^ 例えば、いわゆるグレーゾーン金利に関する昭和39年の最高裁判所大法廷判決における横田正俊裁判官反対意見は、あまりに「借主保護の理想」に傾きすぎ貸金業者に対して「厳格な規制を強行するときは」、貸し渋りを招いて「金融梗塞という借主のためにはならない結果又は闇金利の横行というような法律軽視の風を招来するおそれのあることも反省されなければならない」と指摘しているが、このような論を経済学的に実証することができれば、多数意見である判例の立場に対する有力な反論の論拠となるものと考えることができる。
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