法解釈
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^ 「具体的妥当性」は日本の牧野英一の造語であり、ヨーロッパ法学の自由法論においては「裁判上の個別主義」という。牧野(1936)24頁
^ 伝統的な概念法学に立脚する論者の場合は、法解釈の対象がもっぱら制定法であるのは自明の理であるから(法実証主義)、その法解釈論において法源論はほとんど顧みられないのに対し、自由法論に立つ場合には逆に法源論が中心的課題になる場合が多い。末弘嚴太郎『民法雑考』(日本評論社、1932年)5頁
^ 自然法論とは、法解釈の対象となる法は、人為の制定法(実定法)に限るものではなく、自然的正義という普遍的真理によって裏付けられたものでありそれゆえに効力を有するものであるから、法律さえ変えてしまえばいくらでも法は法たりえるのではなく、制定法はそのような自然的正義に則ったものでなければならないとする思想をいう。穂積陳重(1924)199頁。法は人為的に作られるものではなく自然に在るものであるとする思想自体は古今東西に広く見られるが、西洋自然法論は、ソクラテスらギリシャ哲学によって論証された自然法論が、広く多民族に適用されるローマの万民法と実践的に結び付き、キリスト教の影響をも受けて法律の進歩発展を目指すものとして独自の発展を遂げたものであるから、東洋社会における法解釈の停滞と異なり、2千年以上もの間、活発な法解釈の動きを生み出す原動力となったのである。穂積陳重(1924)221-213頁、メイン(1948)42-57頁、穂積重遠(1950)92-94頁
^ 「法律による行政の原理」とは、「行政の諸活動は、法律の定めるところにより、法律にしたがっておこなわれなければならない」という法原則ないし法思想のことをいう。藤田(2007)37頁
^ 例外として、行政法規においても、明文をもって慣習法による補充を許容しているとみられる場合がある(地方自治法第238条の6、公有水面埋立法第5条第4号等)。長谷川(2008)49頁
^ 行政指導という概念は、必ずしも一致したものがあるわけではないが、例えば「私人を直接相手として行われる、行政主体(行政機関)の行為であって、私人の法的利益に直接の変動を及ぼさないという意味において事実的な行為であるが、現実には、経済的・心理的その他法外的な影響力を持ち、私人の意思決定にとってしばしば重大な意味を持つようなもの一般」というように定義される。藤田(2005)325頁。例えば、行政機関が、ある建物が建築基準法や都市計画法に違反した違法建築物であると考えるとき、持主に改善を呼びかけるようなものがその一例である。藤田(2007)156頁。この行政指導に従わない場合、法令に根拠のある強制手段に踏み切るのを嫌って、水道の供給を市町村が拒否することで警告するという手段が用いられることがある。藤田(2007)159、178-179頁
^ 租税法律主義とは、「法律の根拠に基づくことなしには、国家は租税を賦課・徴収することはできず、国民は租税の納付を要求されることはない」とする原則のことをいう。金子(2011)69頁
^ もっとも、具体的妥当性の見地からローマ法との共通点を見出して再評価したり、大岡政談にみられるような意図的な「見て見ぬふり」が、一種の慣習法として江戸から明治、大正時代と脈々と受け継がれ、ついに起訴便宜主義として立法化を見るに至ったものとする見解もある。末弘厳太郎『嘘の効用』(改造社、1924年)9-12頁
^ 法治主義の理解は一様でなく、第二次大戦後には、西ドイツを中心に、法律上の根拠さえあれば何でもできるという19世紀以来の形式的法治主義は妥当ではないのではないか、という実質的法治主義の観点からの議論がなされた(悪法問題)。藤田(2005)123頁、村上・守矢・マルチュケ(2008)36頁
^ このために、論理解釈と目的解釈が事実上同一視されて論じられたり、或は目的的論理解釈と目的論的論理解釈とが同一視ないし混同されたりすることがある。長谷川(2008)412頁、笹倉(2007)7頁、青井(2007)460頁
^ 刑を減軽又は免除する場合のように、被告人に有利な方向での類推解釈まで禁止されるわけではない。裁判所職員総合研修所(2007)20頁、牧野(1928)50頁、平野(1977)23頁
^ また、旧民法が採ったように、「第三者」が当該物権の特喪につき善意の「第三者」に限られるとする主義を採るときは、善意か悪意かは外部からは容易にわかりえないものであるため、その事実認定をめぐって困難が生じうるから実際上の不都合をも生じうるとも説明されている。松波仁一郎・仁保亀松・仁井田益太郎合著、穂積陳重・富井政章・梅謙次郎校閲『帝國民法正解第参巻』(日本法律学校、1896年、信山社〈日本立法資料全集〉、1997年)145頁
^ この立場においては、実質的考慮をせざるを得ない拡張・縮小解釈は論理解釈のカテゴリーから除外される。星野(1970)14頁
^ 文理解釈・立法的解釈の重要性を説く文脈において、石坂説による創始という経緯を省いて、判例・通説の解釈論は我妻栄の体系書に書かれていることであると説明されることもある。内田貴『民法改正:契約のルールが百年ぶりに変わる』(ちくま新書、2011年)140頁
^ 条文の項(段落)の文章が二文で成るとき、一文目を前段、二段目を後段と呼ぶ。長谷川(2008)
^ 例えば、民法第1編中の「代理」に関する規定はその最大部分をドイツ民法草案に拠ったものであるにもかかわらず、その最大の特徴である授権行為の思想を採用していないが、実際上外国法を継受して成立した法典においては、時として妥協の産物により、必ずしも十分な理由なくしてある部分に付き重要な一部を排除した例もまた少なくない。富井(1922)95頁、仁井田ほか(1938)23頁。そこで、法典が明文上ドイツ民法の主義を採用しなかった事実を重視するのであれば、民法典は当該部分につきフランス法の主義(委任説)を採用していることになると考えられるが、ローマ法からフランス法・ドイツ法へと続く代理制度の歴史的沿革を考えるときは、代理権限は委任契約のみから生じるものとは限らず、労働契約や組合契約によっても生じうるものであるから、委任契約と代理権授与とは別物である(単独行為説)ことが初めて明確に意識されたのはドイツ法においてであるから、日本民法がこれを採用しなかったことに必ずしも合理的な理由があるとはいえず、その不備を認めて類推解釈によって是正する理論的基礎が肯定されうるわけである(→#論理解釈の典型例)。牧野(1924)75頁、富井(1922)96頁、仁井田ほか(1938)23頁
^ 石坂・鳩山・末弘はいずれも著作において極端な母法及び沿革の重視に疑問を述べる点で共通するが、ドイツ法学の摂取のあり方には差異があり、石坂と鳩山の差異を強調するものとして、末弘厳太郎・穂積重遠・牧野英一・我妻栄「鳩山先生の思い出」鳩山(1955)462頁(牧野発言)、石坂・鳩山と末弘の差異を強調するものとして、星野(1986)227-232頁。もっとも、沿革の認識自体には大差ない。星野(1970)72頁。各人の認識につき、石坂音四郎鳩山秀夫末弘厳太郎参照
^ 日本国憲法第76条3項の規定する、裁判官を拘束する「法律」は、形式的意味の「法律」(日本国憲法第59条)に限られず、政令・規則・条例・慣習法などを含む意味に解されているが、立法資料まで含まれるとは説かれないのが一般である。伊藤(1995)578頁、佐藤幸治『憲法』第3版(青林書院〈現代法律学講座〉、1995年)328頁、長谷部恭男『憲法』第4版(新世社〈新法学ライブラリー〉、2008年)327頁
^ 抽象的に正しい解釈を観念することは可能であるとの主張もある。渡辺洋三『法社会学と法解釈学』(岩波書店、1959年)148頁、星野(1970)42頁、前者はマルクス主義、後者は自然法論を前提とする。田中(1994)357-358頁。日本での法解釈論争については来栖三郎 (法学者)星野英一甲斐道太郎平井宜雄参照
^ こうしたフランス法学の傾向は、特にナポレオン失脚後の王政復古期において極限に達する。金山(2003)144頁。法学教育への政治的干渉がなされたことから、法解釈は註釈の枠に閉じこもり、ひたすら平穏を願わなければならなくなったのである。金山(2003)144頁
^ 演繹的・抽象的性格の強い法体系の下においては、法の形成と発展は、個々の具体的紛争の解決を主眼とする弁護士よりも、法学者や司法官僚(裁判官や検察官等)によって担われがちだからである。村山・濱野(2003)31頁、金山(2003)156頁
^ フランスでは自由法論といわずに科学学派というが、日本語では特に区別せず自由法論と呼ぶのが一般である。牧野(1944)105頁
^ ただし、ナチス刑法においては教育刑論は否定されている点に独自の特色があり、牧野英一はこれを支持していない。牧野(1941)247-255頁、潮見・利谷(1974)263頁
^ サレイユ自身は、ジェニーの学説との差異が必ずしも大きいものではないことを強調している。牧野(1936)65頁
^ 刑法においては、特に自由保障機能と法益保護機能の調和の問題となって現れる。大塚(2008)3頁、藤木(1975)45頁、裁判所職員総合研修所(2007)7-8頁、日本国憲法第31条参照
^ 刑事訴訟法においては、特に適正手続と真実発見の調和の問題となって現れる。団藤重光『新刑事訴訟法綱要 七訂版』(創文社、1967年)27-29頁、日本刑事訴訟法第1条参照
^ 民事訴訟法においては、訴訟手続の適正公平と、訴訟経済・迅速な裁判実現の調和の問題となって現れる。兼子一『民事訴訟法体系 増訂版』(酒井書店、1965年)36頁、日本民事訴訟法2条参照
^ ヒトラーナチ党は法的安定性を軽視して民族共同体という目的を強調し、一方ムッソリーニファシスト党は法の権威を誇示するために法的安定性を押し付けようとしたのであって、ファシズムのような権威主義が同じ法解釈の傾向を示すとは限らない。団藤(2007)234頁
^ 加藤雅信の調査によれば、アメリカと日本における契約意識ないし法律意識は、川島やルース・ベネディクトが考えていたような対照的なものではなく、共に世界の平均である(ドイツ・フランスよりも日米の契約遵守度は高い)。
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