法解釈
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民族精神に裏付けられた慣習法の蓄積による緩やかな法形成という理想は、古城を愛でるかのようなロマン主義に基づくものとして文学者ゲーテとの同源性を指摘され、しばしばアンゼルム・フォイエルバッハ及び詩人シラーとに対比される[35](→#概念法学と自由法論)。

元々既存の成文法中に存在が予定されていなかった現象であっても、譲渡担保のように独自の発展を遂げ、裁判実務上もしばしばその俎上にあがるものがある[36]。日本では、平成16年には動産の譲渡担保を正面から認める立法が成立したが、そのような法律が存在しなかった時代においては、民法上認められたによる以外の担保方法は法律上の保護を与えられないと解する余地も理論上ありえた[36]。このように、人為的に制定された成文法すなわち実定法のみが法源であって、慣習法などの不文法は実定法が明文を持って許容しない限りは法源になることはないという考え方を、法実証主義という[37]

これに対し、判例・通説において承認されていたように、民法上の質権の規定を、動産担保の全てを規律する規定ではなく、動産を質という制度で担保にする場合だけの規定だと解釈すると、所有権を譲渡する方法で担保にすることについては、民法の規定が欠けているということになるから、慣習法による補充が許容されるということになる[36]。このように、慣習法の解釈においては、慣習そのものが本来明確なものでないから、その存在、内容などをある程度はっきり確定させ、#成文法と調和させることが重要な任務になる[38]

慣習法と成文法の調和の仕方を巡っては、成文法の優位を説いて法と道徳の峻別を重視する法実証主義と、成文法と慣習法の連続性を強調して両者の共通点に着目する自然法論の対立があり[註 4]、前者が慣習法を排除して悪法もまた法なりのテーゼを肯定するのに対して、後者が悪法は法ではないとの立場に結びつくものであると説明されることがある[39]

しかし、歴史法学の立場から、自然法論を批判する論者が慣習法の尊重を説くこともあり[40]、また逆に自然法論者が不文の慣習法の排除を説いて悪法もまた法なりに傾斜することもあるから、厳密に言えば、両者が必ずしも対応するわけではないとも考えられている[41]

例えば、18世紀から19世紀にかけてのフランスにおいては、自然法の現れとみなされたナポレオン諸法典による慣習法の統一を背景に、法典化されなかった慣習法の効力を否定して、紛争はことごとく法文解釈の枠にはめて規律しようとしていた[42]。一方、ドイツにおいては、1794年に成立したプロイセン一般ラント法が同様の見地を徹底して詳細かつ網羅的な立法を試みたが、その故に法典が極度に膨張して挫折を強いられ[43]、法の普遍性を強調する自然法学派に対し、法の歴史的必然性を強調する歴史法学派により、フランスとは逆に、早急な人為的立法によることなく、社会的な自然の慣習法の発達に多くを委ねるべきとの立場が有力になった[44]。当時ヨーロッパを席巻していたロマン主義(右画像参照)や進化論、及び分断化されていたドイツの政治的事情が背景にある[45]ナポレオン戦争の影響によって、ティボーらにより、国家統一のための統一的な法典整備の必要が叫ばれたのに対し[46]サヴィニーをはじめとする歴史法学派が反対したのはこのためであった(法典論争[47]。ところが、19世紀末から20世紀にかけて、ナポレオン法典の老朽化とドイツ民法典の制定によって、両国の解釈態度は逆転し始めたのである[47]

これに対し、英米法特にイギリス法は、このようなフランス・ドイツを中心とする大陸法における法典化運動、すなわち慣習法の全面的な制定法化には従わなかった[48]。むしろ、かつてドイツの歴史法学派が主張したように、成文法の制定は慣習法の個々の点について生じた誤りを是正するためにのみなされるべきだと考えられたのである[48]

これは、成文法は立法者の恣意によって変動しうるから[49]、それよりも何世紀にもわたる慣習法と判例法の蓄積によって、裁判官を拘束し恣意的判断を防ぐことが合理的であると考えられたためである[48]。詳細は「コモン・ロー」を参照

一方、大陸法の法制度を採る国々においては、もし法源として成文法を重視する主義に立てば、法源の明確さゆえに法的安定性の確保に資するが、反面、慣習法や判例法のような不文法をも重視する主義によれば、柔軟な解釈によって、より具体的妥当性を実現しやすいと考えられている[50](もっとも、過度の成文法偏重はかえって法的安定性を損なうと考えられるし、成文法を重視する立場に立っても、しばしば成文法規の中に「書かれざる法」を読み込もうとすることについては後述[51]
刑法及び行政法における慣習法犯罪刑罰の均衡を説くベッカリーアベンサムJ.S.ミルらの潮流を受け[52]カントの影響の下罪刑法定主義の理論的基礎を構築したアンゼルム・フォイエルバッハ[53]バイエルン刑法典の起草者であり、法典論争ではサヴィニーに対抗する論陣を張った[54]

近代刑法においては、「法律なければ犯罪なく、法律なければ刑罰なし」という法格言に表されるように、どのような行為が犯罪となり、どのような刑罰が科されるのか、あらかじめ成文法で定められていなければならないという罪刑法定主義の原則があるため[55]、慣習法や#条理を独立の法源とすることは許されない[56]。もっとも、例えば「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」とする、日本刑法35条のように、成文の「法令」によらない慣習法の解釈に委ねたとみられる規定もあることから、成文法規の解釈に当たって慣習や条理を考慮することまで排除されるわけではない[57]

行政法分野においても、法的安定性の確保及び三権分立による国家権力の恣意的行使の抑制という見地から[58]現に存在している法律による行政の原理に依拠した国家権力のコントロールが重要になる[59][註 5]。つまり、慣習法の成立する余地は本来少ない[60][註 6]

したがって、この観点からは、日本において広く行われている行政指導には批判がある[61][註 7]。行政指導に従うべき法的な義務は無いが、これに抵抗することは実際上困難なことが多く、違背すると法令の根拠があるとは限らないにもかかわらず、しばしば事実上の不利益を受けるからである[62]

もっとも、問題のある行為に対して、いきなり法令の適用という最終手段に訴えることを抑制しつつ[63]、望ましい適法状態の具体的実現を図ることによって、具体的妥当性を実現しうるという積極的意義をも認めることができる[64]

一方で、行政指導を信頼してした私人の行為に対し、行政機関が先の行政指導と矛盾した扱いをする場合、信義誠実の原則違反、禁反言の法理に対する違反を理由に(→#概念法学と自由法論)、不利益を受けた私人の側からの行政訴訟を提起される場合が多々あり、行政法学上重要な解釈問題になっている[65]

また、税法分野は特に法的安定性への要請が強い領域であり、近代法の下では租税法律主義が妥当するから、法解釈において慣習法の入り込む余地は更に少なくなる[66][註 8]


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