法然
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^ 浄土真宗では、法然を「元祖」と称し、親鸞を「宗祖」と称する。浄土真宗における法然と親鸞に対する「聖人/上人」の使い分けには時代による変遷がある。親鸞は法然を常に「聖人」と呼んだ。これを尊重し、初期には法然は常に「源空聖人」と呼ばれ、親鸞と法然を対で扱う際にはその師弟関係を重んじて「源空聖人・親鸞上人」と呼びつつ、親鸞を単独で呼ぶ際には「親鸞聖人」と呼称した。本願寺系では蓮如に至って法然と対で扱う場合でも親鸞を法然と同位に置いて「源空聖人・親鸞聖人」と呼ぶようになった。江戸期以降、他の法然門下である浄土系諸宗と自派を截然と分かち自派の独自性を宣揚しようとする意識から、法然の呼称は「源空上人」とされ、親鸞の下位に位置づけられるようになる。しかしながら、21世紀以降にはこうした宗派意識に対する反省もあり、親鸞自身の用いた呼称である「源空聖人」が、大遠忌などの公式行事においても再び用いられるようになっている。
^ 異説には久安3年(1147年)
^ 承元の法難とそれに伴う法然の流罪はあくまでも、遵西・住蓮の事件に対する師匠としての責任を問われただけで、念仏禁止に関する議論はあったものの断には至らなかったとする見解もある。詳細は承元の法難の項目を参照のこと。
^ 承元の法難の原因となったこの事件からも、法然の教団が女人救済に熱心に努めていたことがうかがえる。松尾(1995)p.31。一方、遵西・住蓮がこの時行った六時礼讃と呼ばれる方法は、法然が世間を誘惑するものであるとして批判し、『七箇条制誡』でも禁止を表明しており、法然本来の教えを無視して独自に動く門弟が現れていたとみる考えもある。森(2013)p.279-281・290-293
^ 後に出家し、証空に師事している。
^ 宇都宮頼綱の実弟。
^ 専修念仏の教えは浄土門のなかに多念義と一念義の論議を生んだ。法然自身は一念義の立場を認めながらも自身は多念であったが、親鸞は一念義の立場に立った。石井(1974)pp.429-430。ただし、一念すればそれで充分であるという意味での一念義に対しては一貫して否定する見解を取り続けた。森(2013)pp.215-238・291-293。
^ 一念義と多念義の論争に対しては、法然は二項対立に持って行く議論のあり方が間違っているという趣旨のことばを語っており、「常に仰せられたことば」の中に「一度の念仏、十度の念仏でさえ往生するといっても、心に雑念を巣くわせてとなえるならば、一見念仏行に精励しているごとく見えても、念仏の質には問題があろう。またたえず念仏しているといっても、一念でも救われるという本願を疑いつつとなえているならば、その念仏行自体に問題がある。であれば、一度の念仏によっても往生するのだと堅く信じて、この信心のうちに生涯念仏行に打ちこまねばならない。」と語られている。石丸(1991)pp.229-230
^ 石丸晶子編訳 『法然の手紙 愛といたわりの言葉』には法然が武家の妻女や公家の妻女からの問いに答えた返書が5通と、手紙ではないが、室の津の遊女に教え諭したことばとして伝承された短い一文が収録されている。
^ 法然は他宗の信徒に対して聖道門の修行を排除・否定することはなかったし、自分に師事する信徒にも「他宗の信徒に対して聖道門の修行を否定したり、念仏を勧めたりしてはならない、また、言い争ってもならない」と諭している。しかし、自分の信徒に対しては「自分の往生のために念仏以外の修行を行うことはよろしくない」と、はっきり否定している。また、「人々がひとつに団結してたがいに縁を結ぶために、お堂をたて、仏像をつくり、写経し、僧侶を供養することは念仏行を遠ざける悪因にはならないのでなさってください」と、簡単に実行できるレベルの仏教的活動については推奨している。石丸(1991)pp.25-28

出典^ 『法然』 - コトバンク
^ a b c d e “法然の大師号・諡号・呼称:浄土宗”. 浄土宗. 2017年1月11日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2010年5月24日閲覧。
^ 松尾(1995)pp.29-30
^ “美作の歴史を訪ねて 。岡山県北の生活情報 アットタウンWEBマガジン”. 2019年3月8日閲覧。
^ a b c d e 松尾(1995)p.30
^ 森(2013)p.149-150
^ 松尾(1995)pp.30-31
^ a b 石井(1979)pp.425-431
^ 石丸(1991)pp.20-44
^ 石丸(1991)pp.46-75
^ 松尾(1995)p.31
^ 家永(1982)p.128
^ 阿満(2007)pp.274-275
^ 阿満(2007)pp.274-276
^ 「浄土宗の教えと四十八願」(大阪新四十八願所・阿弥陀巡礼公式ホームページ)
^ 森(2013)p.171-176・180-182・192-193
^ 森(2013)p.204-207
^ 石上(2013)pp.93-94
^ 石丸(1991)pp.61
^ 石丸(1991)pp.62
^ 石丸(1991)pp.65
^ 平, 雅行「法然 : 貧しく劣った人びとと共に生きた僧」『(No Title)』。 
^ 菩提寺・阿弥陀堂・天明の公孫樹2019年2月27日 閲覧

参考文献

石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』中央公論社中公文庫〉、1974年。改版2004年

家永三郎『日本文化史(第二版)』岩波書店岩波新書〉、1982年3月。ISBN 4-00-420187-X

松尾剛次『鎌倉新仏教の誕生』講談社講談社現代新書〉、1995年10月。ISBN 4-06-149273-X

網野善彦『日本社会の歴史 (中)』岩波書店〈岩波新書〉、1997年7月。ISBN 4-00-430501-2

森新之介『摂関院政期思想史研究』思文閣出版、2013年1月。ISBN 978-4-7842-1665-9 第四章?第六章

石丸晶子編訳 『法然の手紙 愛といたわりの言葉』人文書院、1991年6月。(現代語訳法然書簡集)ISBN 4-409-49003-6

阿満利麿『選択本願念仏集 法然の教え』角川学芸出版角川ソフィア文庫〉、2007年5月。ISBN 978-4-04-406801-1

石上善應『法然の「問答集」を読む(上)』NHK出版、2013年4月。ISBN 978-4-14-910841-4

伝記と関連文献
伝記

法然(
田村圓澄吉川弘文館人物叢書」新装版)

法然とその時代(田村圓澄、法蔵館:法蔵選書)


法然上人伝(梶村昇大東出版社(上下)、2013年) 

念仏の聖者 法然 -日本の名僧7-(中井真孝編、吉川弘文館、2004年)

絵伝にみる法然上人の生涯(中井真孝、法蔵館、2011年)


法然(大橋俊雄講談社学術文庫、1998年)

法然入門(大橋俊雄、春秋社

法然と浄土宗教団 (大橋俊雄、教育社歴史新書

法然上人絵伝(大橋俊雄校注、「法然全集 別巻1・2」/改訂版:岩波文庫(上下)、2002年)


法然の世紀 源平争乱の世に万民救済を説く(伊藤唯真、浄土選書:浄土宗、2001年)

『法然 宗祖法然上人800年大遠忌記念』(平凡社〈別冊太陽 日本のこころ〉、2011年)。図版本


法然賛歌?生きるための念仏(寺内大吉中公新書)?※以上は浄土宗関係者による書目

法然行伝(中里介山ちくま文庫、2011年)。下記も収録

黒谷夜話(中里介山、新版:浄土宗出版・文庫判、2010年)


掬水譚?法然上人別伝(佐藤春夫、新版:浄土宗出版・文庫判、2010年)

法然と親鸞の信仰(倉田百三講談社学術文庫、新版2018年)

法然と親鸞(山折哲雄中央公論新社、2011年/中公文庫、2016年)

法然を読む ?「選択本願念仏集」講義?(阿満利麿、新版・角川ソフィア文庫、2011年)

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