法政大学
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4月 - 麻布校舎に社会学部を設置[注釈 17]。工学部が麻布校舎に移転。野上記念法政大学能楽研究所設立。

5月 - 血のメーデー事件で法政大学の学生が死亡[73]


1953年(昭和28年)

2月 - 53年館(大学院校舎)竣工。

3月 - 財団法人日本統計研究所(前身は日本銀行国家資力研究所)が本学へ移管される。

4月 - 木月教養部から法・文学部2年生が市ケ谷に移転[74]

10月 - 53年館内に図書館大学院分室を設置[75]


1954年(昭和29年)4月 - 木月教養部から経済学部2年生が市ケ谷に移転(木月は1年生のみとなる)[76]

1955年(昭和30年)

2月 - 55年館竣工。

4月 - 社会学部が麻布校舎から市ケ谷に移転。55年館地下食堂(富士見食堂)が開店。

5月 - 能楽研究所が文学部付置研究所となる。


1956年(昭和31年)

2月 - 法政大学消費生活協同組合設立認可。

9月 - 海外留学派遣制度発足(翌年度から実施)。


1957年(昭和32年)3月 - 58年館敷地(靖国神社所有地)1070.36坪を購入[77]

1958年(昭和33年)

5月 - 58年館竣工。

6月 - 58年館地下食堂の経営権をめぐって「六月闘争」が起こる[注釈 18]

9月 - 木月教養部の市ケ谷移転完了[78]。58年館地下食堂(生協食堂)が開店。

55年館と58年館が第10回日本建築学会賞作品賞を受賞。


第9代総長有沢広巳。吉田茂の経済ブレーンとして傾斜生産方式を立案したことでも知られる。退官後は法大総長のほか原子力委員会委員、日本学士院長なども務めた。1959年(昭和34年)

4月 - 経営学部経営学科を設置。有沢広巳が総長に就任。

12月 - 工学部移転用地を購入(現在の小金井キャンパス)。


法政大学の教職員・学生も安保闘争に加わり多くの負傷者を出した[79]1960年(昭和35年)

1月 - 田町校舎(予備校東京学院)購入。

6月 - 安保反対法政大学全学抗議集会を開催[注釈 19][注釈 20]。旧制法政大学廃止。

8月 - 校友会館として日本私立大学連盟会館(旧泉鏡花邸跡)を購入[80]

55年館と58年館が第1回BCS賞を受賞。


1961年(昭和36年)4月 - 文学部第一部史学科・地理学科開設、文学部第二部史学科・地理学科学生募集停止。

1962年(昭和37年)

4月 - 奨学金給付制度開始。62年館竣工。市ケ谷の木造校舎を解体。

7月 - 二部会計課職員による不正事件発覚、有沢総長辞任(9月)[81][82]


1963年(昭和38年)

1月 - 法友会出版局を法政大学出版局と改称。

2月 - 総長に谷川徹三西田幾多郎門下、哲学者、帝室博物館次長、文化功労者、長男は詩人の谷川俊太郎)が就任。


1964年(昭和39年)

1月 - 55年館地下の富士見食堂が廃業し、生協食堂となる[83]

3月 - 小金井キャンパス竣工、工学部が麻布校舎から移転。

4月 - 法政大学計算センター(現・情報メディア教育研究センター)開設。

12月 - 町田校地(現在の多摩キャンパス)購入開始( - 1967年)。


1965年(昭和40年)

4月 - 大学院工学研究科を設置。

5月 - 経理部会計課で第二の不正事件発覚、谷川総長辞任(8月)[84][85]

7月 - 白馬山荘および中禅寺湖畔荘竣工。


1966年(昭和41年)

4月 - 工学部建設工学科を土木工学科と建築学科に分離。学生相談室設置。

この頃から大学紛争が激化[86]


1967年(昭和42年)

2月 - 大原社研麻布分室を設置。

3月 - 総長公選制が実現し、渡辺佐平が総長に就任。

美濃部達吉門下の政治学者中村哲。1968年に第12代総長となり、大学紛争、町田(多摩)移転問題、新学部設置問題などの難題解決に取り組んだ。

1968年(昭和43年)

4月 - 工学部電気工学科に電気電子専攻、計測制御専攻を増設。

5月 - 中村哲が総長に就任。


1969年(昭和44年)

3月 - 出版局が麻布校舎に移転開始(翌年移転完了)。

4月 - 法大全共闘結成。以後6月23日から11月19日まで本校地区は休講となる[87]

5月 - 大原社研創立50周年記念講演会を開催(朝日講堂)。

12月 - 69年館(現在の法科大学院棟)竣工。


1970年(昭和45年)

7月 - 町田プロジェクトチーム結成。

8月 - 市ケ谷キャンパスで東京教育大学生リンチ殺人事件が発生。

10月 - 市ケ谷キャンパスに鉄柵設置(1992年撤去)、新館・六角校舎を解体。


1971年(昭和46年)

4月 - 他学部聴講制度開始。

9月 - 経営学部で電算機実習開始。

12月 - 能楽研究所が麻布校舎に移転。


1972年(昭和47年)6月 - 法政大学沖縄文化研究所設置(麻布校舎内)。

1973年(昭和48年)

8月 - 学生会館竣工。

12月 - 法政大学社会労働問題研究センター設置(1986年大原社研に吸収)。


1974年(昭和49年)7月 - 町田開発本部設置。

1975年(昭和50年)

1月 - 市ケ谷総合体育館竣工。

11月 - 法政大学ロンドン分室をロンドン大学に設置(現在のヨーロッパ研究センター)。


1976年(昭和51年)

3月 - ソ連科学アカデミー東洋学研究所と研究者交換協定を締結。

4月 - 法政大学体育センター設置。

12月 - 武田久吉邸(アーネスト・サトウ旧宅)[88][89] 1,586m2を購入。


1977年(昭和52年)

1月 - 町田市への校舎移転に反対する学生らの抗議運動が激化。後期試験の一部日程が変更、中止される[90]

4月 - 東京都、町田校地開発を許可。国際交流センター設置。

5月 - 法政大学ボアソナード記念現代法研究所設置。


1978年(昭和53年)3月 - 町田校地第一期工事地鎮祭を行う。

1979年(昭和54年)

3月 - 一般推薦入学制度決定(翌年度入試から実施)。

11月 - 奨学金留学制度開始。


1980年(昭和55年)

4月 - イオンビーム研究所設置。

9月 - 創立100周年記念式典を挙行。武田邸跡地に80年館(図書館・研究室棟)竣工[89]

城山校地を入手(現在のサッカー場、馬場、多目的グラウンド)[注釈 21]


1981年(昭和56年)

3月 - 能楽研究所と大原社会問題研究所が80年館に移転[注釈 22]
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