法政大学
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1903年(明治36年)8月 - 専門学校令により法政大学と改称[注釈 6]、予科・大学部・専門部・高等研究科を設置。校長を総理と改称。初代総理に梅謙次郎民法商法起草者、東京帝国大学法科大学長、内閣法制局長官、文部省総務長官)就任。

1904年(明治37年)4月 - 専門部実業科を新設。清国留学生のための法政速成科を設置。

1907年(明治40年)

2月 - 実業科を商科と改称。

12月 - 学友会を結成。


1908年(明治41年)

4月 - 法政速成科の学生募集停止。

5月 - 大学部を法律科と政治科に分離、専門部に政治科を設置。

法政大学創立30周年記念式典(1909年4月25日)創立30周年記念式典の来賓として招かれた渋沢栄一。社会学部のルーツである協調会の設立に深く関わり、自らも副会長に就任した。なお会長は徳川家達

1909年(明治42年)

4月 - 創立30周年記念式典を挙行。来賓に渋沢栄一(当時は男爵)、桂太郎(第11・13・15代内閣総理大臣)、岡部長職(第15代司法大臣)、小松原英太郎(第21代文部大臣)、駐日フランス大使代理参事官等。

7月 - 夜間授業を昼間授業に改める。


1910年(明治43年)

2月 - 入学者が激減したため、再び夜間授業に戻す[35]。東京高等予備校を開設。

6月 - ボアソナード死去。

7月 - 梅謙次郎死去。

10月 - 古賀廉造が専任理事に就任(総理は空席)[注釈 7]


大正大学令後の初代学長松室致司法大臣等の国の要職を務めながらも、校地移転、新校舎建設、学部や教職員の拡充、六大学野球連盟加入など、「大学」法政の骨格を築き上げた。

1913年(大正2年)6月 - 総理を学長と改称、松室致(第17・21代司法大臣、検事総長、枢密顧問官、貴族院勅選議員)が学長に就任.。

1915年(大正4年)4月 - 野球部が正式に発足。中野(新井薬師)にグラウンドを開設[注釈 8]

1917年(大正6年)4月 - 東京六大学野球連盟の前身である三大学(早慶明)リーグに野球部が加盟、四大学リーグ()結成、神田橋グラウンドを借用[注釈 9]

1918年(大正7年)

8月 - 予科の修業年限を3年に延長する。

10月 - 麹町区富士見町4丁目の土地を購入(現在の市ケ谷キャンパス敷地)。当初は現在よりも敷地は狭く、徐々に敷地を買収・拡張していくことになる[36]


1919年(大正8年)

10月 - 大学令による法政大学設立認可申請を行う。

中野球場完成[注釈 8]

扶信会(東大新人会の影響を受けた学生団体)結成[37][注釈 10]

法大昇格計画(『東京朝日新聞』 1919年9月12日付朝刊4面)官報』(1920年4月16日付)文部省告示第266号「大学令ニ依リ法政大学ヲ設立スルノ件大正九年四月十五日認可セリ」。同日には、明治中央日本國學院同志社の各大学も認可された。

1920年(大正9年)4月 - 法政大学設立認可(学長・松室致)。法学部(法律学科・政治学科)・経済学部(経済学科・商業学科)、専門部(法科・政治科・商科)設置。

1921年(大正10年)

4月 - 富士見町4丁目の第一校舎竣工。ヴィルヘルム・ゾルフ駐日ドイツ大使が竣工記念に来校[38]

専門部が一部・二部制となる。


1922年(大正11年)

2月 - 第二校舎竣工。フランス特派使節で来日したジョッフル元帥が来校し、大講堂で学生に演説。[39]

4月 - 法学部に文学科・哲学科を新設して法文学部となる。

9月 - 応援団結成[40]


1923年(大正12年)

7月 - 社会問題研究会結成。

8月 - 旧九段上校舎を大東文化学院に売却[41]

1926年(大正15年)頃の法政大学。旧江戸城外堀の水面に旧第一校舎が映っている。

1924年(大正13年)

4月 - 校名改称問題起こる[注釈 11]

5月 - 専門部が高等学校大学予科と同等以上と指定される[42]。東京高等予備校廃止。

12月 - 文学科に国文学主攻、哲学科に社会学主攻を開設。

最初の校歌「名大いなれ法政」(為光直経作詞・瀬戸口藤吉作曲)制定[43]


1925年(大正14年)

4月 - 専門部に政治経済科と高等師範科(国漢・英語)を開設。

9月 - 東京六大学野球連盟発足。


1926年(大正15年)10月 - 学位規程認定。

昭和戦前

1927年(昭和2年)2月 - 第三校舎竣工(最初の鉄筋コンクリート校舎、戦後第一校舎と改称)、新図書館開館。

1928年(昭和3年)

1月 - 高等師範科卒業生に中等教員無試験検定認可。

4月 - 第四校舎(通称・六角校舎)竣工。

5月 - 創立50周年記念式典を挙行。来賓に田中義一(第26代内閣総理大臣)、水野錬太郎(第36代文部大臣)、原嘉道(第31代司法大臣)、中橋徳五郎(第5代商工大臣)、後藤新平(当時は第7代東京市長、子爵)、駐日フランス大使等。


1929年(昭和4年)

1月 - 専門部に高等商業科を設置。

5月 - 野球部がハワイに遠征して8勝7敗[44]

1929年(昭和4年)5月にアメリカハワイに遠征した野球部



7月 - 日本の大学で初となる航空研究会を結成[45]内田百が初代会長に就任)。
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