神田区小川町1番地に所在した建坪が316.5坪のレンガ造りの校舎[103]。東京法学校時代の1884年(明治17年)から使用された[104]。レンガ造りの旧勧工場(内国勧業博覧会を日常化した百貨商品販売所)の建物を買い取って内部を改築したもので[104]、建物の前の半分が教務室、食堂、寄宿舎、奥の半分が約300人収容の講堂を中心とした教室であった[105]。その頃の学校としては、かなり人目を引く規模の校舎であったという[105][注釈 26]。この新校舎の購入に際しては、ボアソナードが私財を投じたといわれ[106][107]、校舎の前面には、当時の大審院院長であった玉乃世履の揮毫による「東京法学校」の大文字の額が掛かっていた[105]。
なお、東京法学校はこの校舎の向かいにあったもう1棟のレンガ造り建坪144坪の建物[108] も所有していたが、こちらは仏学会 (La Societe de Langue Francaise) に賃貸され[109]、1886年(明治19年)の東京仏学校開校時の校舎となった。また、この東京仏学校の校舎は、仏学会からさらに夜間のみ東京物理学校(現・東京理科大学)に賃貸され[109](転貸借)、東京法学校と東京仏学校が合併に向けて動き出した1888年末に東京物理学校に売却された[110](同校が1906年に神楽坂に移転するまで使用)。
九段上校舎
卒業記念写真(1890年)