法務省
[Wikipedia|▼Menu]
法務省の起源は、1869年(明治2年)に設置された刑部省にまで遡るが、直接の前身は1871年(明治4年)7月9日に設置された司法省とされている。司法省は、裁判所の監督など、司法行政事務を含む広範な法務、司法に関する事務を司っていた。

司法省の中でも検事局が主流を成しており、平沼騏一郎による検事主導の積極介入主義のもと、検事は、政党、軍部、官僚と並ぶ一大勢力に成長し、検察権力を第一義とする司法権の独立が明確化する。大正期から昭和戦前期には、「検尊判卑主義」が公然と囁かれるようになり、検事局、司法省、裁判所の要職を、検事がほぼ独占するようになっていた[7]

1940年前後には、「司法権の独立」は、軍部の「統帥権の独立」と並ぶ政治的イデオロギーとなり、陸軍三長官会議をモデルに、司法大臣大審院院長検事総長による三長官会議の設置まで提唱されるようになる[7]

1947年(昭和22年)4月の裁判所法及び検察庁法の成立、また三権分立体制を謳った日本国憲法の施行、また12月の法務庁設置法の成立に伴い、司法官僚は、司法省、検察庁、最高裁判所事務総局など、大きく分けて3つに分散し、裁判所関係の司法行政事務最高裁判所事務総局の所管に移されることになった。

1948年(昭和23年)2月15日、司法省は廃止され、内閣法制局を統合して、法律問題に関する政府の最高顧問とされる法務総裁を長とする法務庁が設置された。法務庁設置法(昭和22年12月17日法律第193号)はその後に改正を重ね、中央省庁再編が始まる1999年まで存続した。

その中で、1949年(昭和24年)6月1日行政機構改革では、法務庁は法務府に改称され内部部局が簡素化された。また、法務省を所管とする人権擁護委員法が成立した。

1952年(昭和27年)8月1日の行政機構改革では、法務府は法務省と改称され、法制に関する事務を内閣法制局に再び移管するなど、機構の大幅な整理が行われた。この行政機構改革の頃から、国家行政組織法別表において各省の筆頭に掲げられ、法務省は政府の各府省の建制順(列記する際の序列)では、内閣総理大臣が主任の大臣を務める総理府に次ぐ位置であった。

1954年(昭和29年)、国会に人権委員会設置法案が提出されるが廃案となる。1995年に日本が人種差別撤廃条約に加入したのち、2002年、2005年には人権擁護法案、2012年には人権委員会設置法案として新たに提出された[8]

2001年(平成13年)1月6日の中央省庁再編により、法務省設置法(昭和22年法律第193号)に基づく法務省が廃止され、法務省設置法(平成11年7月16日法律第93号)及び法務省組織令(平成12年6月7日政令第248号)に基づく法務省が設置され、各種の部局や審議会、施設機関が再設置された。序列は総務省に次ぐ2番目となった。

2017年(平成29年)6月15日、改正組織犯罪処罰法テロ等準備罪が新設され、日本国は国連の組織犯罪防止条約及び腐敗防止条約を受諾することとなった。

2012年(平成24年)11月9日、三条委員会である人権委員会設置を目的とする人権委員会設置法案が再度提出された。同法案の趣旨は、同委員会は、(1) 政府からの独立性を有する立場で、公権力による人権侵害行為を始めとする人権侵害行為についてより実効的な救済を図る、(2) 新たに調停・仲裁の制度を取り入れて救済を推進する、(3) 国内の人権状況等を踏まえ、内閣総理大臣、関係行政機関の長又は国会に対し意見を提出することができるというものであったが、同月16日の衆議院の解散により廃案となり、国内人権機関は未だ設置されていない[9]

2019年 (平成31年) 4月1日内局である入国管理局が廃止され、新たに外局に出入国在留管理庁を新設する組織改編を行った。

現行の司法法制部は、国内外の法令、法務に関する資料の整備、編纂、司法省であった1921年大正10年)に始まる『法務資料』の刊行、霞が関の法務図書館の運営、2009年(平成21年)からは『日本法令外国語訳データベースシステム』(Japanese Law Translation)の運営などを行い、また日本司法支援センターの運営に関する業務を行っている。
沿革

1869年(明治2年):維新後の初代
刑部卿正親町三條實愛が任ぜられる。

1871年(明治4年) :刑部省を廃止し司法省となる。

1872年(明治5年) :初代司法卿に江藤新平が任ぜられる。

1885年(明治18年)12月22日:内閣設置により司法大臣に山田顯義が任ぜられる。

1947年(昭和22年)5月3日:日本国憲法裁判所法の施行に伴い司法行政権裁判所へ移管。

1948年(昭和23年)2月15日:法務庁設置法により、司法省を廃止し法務庁となる(長は法務総裁)。

1949年(昭和24年)6月1日:行政機構改革により、法務庁を法務府と改称(前同)。

1952年(昭和27年)7月21日:破壊活動防止法の施行と同時に、同法に関する業務を行う外局として、公安調査庁公安審査委員会が発足した。

1952年(昭和27年)8月1日:行政機構改革により、法務府を法務省と改称(長は法務大臣)。

2001年(平成13年)1月6日:中央省庁再編における(新)法務省設置法により、(旧)法務省を廃止し(新)法務省発足。初代大臣は高村正彦、初代副大臣は長勢甚遠、初代法務大臣政務官は大野つや子

2004年(平成16年)1月1日:それまでの、外局の司法試験管理委員会が廃止され、審議会等の一つとして司法試験委員会が設置された。

2015年(平成27年)4月10日:大臣官房の訟務部門を移管し、訟務局を設置した。

2019年(平成31年)4月1日:入国管理局を格上げする形で出入国在留管理庁が発足した。

所掌事務

上述の法務省設置法3条に規定された任務を達成するため、同法4条は計40号にわたって所掌事務を列記している。具体的には以下に関することなどがある。

民事法制(1号)

刑事法制(2号)

司法制度(3号)

司法試験(4号)

内外の法令及び法務に関する資料の整備及び編さん(5号)

法務に関する調査及び研究(6号)

検察(7号)

司法警察職員の教養訓練(8号)

刑事に関する国際間の共助(9号)

犯罪の予防(10号)

刑事一般(11号)

及び勾留など矯正一般(12?12号の2)

恩赦(13号)

仮釈放、仮出場、仮退院、不定期刑の終了及び退院(14号)

保護観察、更生緊急保護及び刑事施設等(15号)

保護司(16号)

更生保護事業の助長及び監督(17号)

更生保護一般(18号)

心神喪失状態で重大な他害行為を行った者の精神保健観察(18号の2)

破壊的団体の規制(19号)

無差別大量殺人行為を行った団体の規制(20号)

国籍戸籍登記供託及び公証(21号)

司法書士及び土地家屋調査士(22号)

民事一般(23号)

外国法事務弁護士(24号)

債権管理回収業(25号)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:116 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef