日本
法務大臣
Minister of Justice
法務省ロゴマーク
五三桐紋
現職者
小泉龍司(第108代)
就任日 2023年9月13日
所属機関内閣
担当機関法務省
任命内閣総理大臣
(岸田文雄)
根拠法令法務省設置法
国家行政組織法
前身司法大臣
→ 法務総裁
創設1952年(昭和27年)8月1日
初代木村篤太郎
略称法相
職務代行者法務副大臣
(門山宏哲)
俸給年額 約2929万円[1]
ウェブサイト法務省:大臣・副大臣・大臣政務官の紹介
法務大臣(ほうむだいじん、英語: Minister of Justice)は、日本の法務省の長および主任の大臣たる国務大臣[2][3]。略称は法相(ほうしょう)である。 戦後、法務大臣経験者で内閣総理大臣に就任した人物は皆無である。閣僚名簿では首相、副総理、総務大臣の次に並べられ、席次もそのようになる。中央省庁再編前は、首相、副総理の次位であった。閣内の重石として後藤田正晴、鳩山邦夫、江田五月、谷垣禎一など重鎮クラスの就任例もある。 英米法や大陸法の諸国において法務大臣は政府の法解釈助言者という位置づけであり、法曹資格者が就任することが多いのに対し、日本では、政府の法解釈答弁は内閣法制局長官が担当している。ただし、2009年9月に発足した民主党政権で内閣法制局長官は政府特別補佐人から外れ、法曹資格者である平岡秀夫法務大臣や枝野幸男経済産業大臣らが法令解釈担当閣僚として政府の法解釈答弁を担当していたが[4]、基本的に日本の法務大臣は法曹資格者が選ばれるケースが少なく、大臣就任まで司法行政の経験が皆無な人物が多い。さらに出身大学も法学部でない者も多い。(法務大臣の法曹資格の項も参照) 検事総長に対する指揮権を掌握していることから、政治家への捜査に大きな影響力を及ぼしうる立場である。 大日本帝国憲法下(司法省)における前身は司法大臣であり、裁判所の人事権まで掌握していたが、敗戦後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令によって、司法省は段階的に解体、廃止され、代わりに法務庁(後に法務府)が設置され、長はアメリカ合衆国司法長官をモデルとする法務総裁(法務庁、法務府の長)となった。主権回復後、法務府から内閣法制局を分離して法務省が設置されたが、法務省の長である法務大臣の位置づけは、両者の折衷である。
概説
権限
国を当事者または参加人とする訴訟については、法務大臣が、国を代表する(国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律第1条)。
外国人の在留許可、永住許可、帰化。
死刑執行命令を発する権限と義務
刑事訴訟法によれば、死刑執行の命令は判決が確定してから6か月以内に行わなければならない(第475条2項)が、再審請求などの期間はこれに含まれない。また、大臣によって決裁の頻度は異なり、賀屋興宣、左藤恵、杉浦正健等、在任中に発令の署名をしなかった大臣の例もある。判決確定から6か月という規定は、日本国憲法制定後に、「今までのように死刑執行まで時間がかかりすぎるのは、死刑執行を待つ恐怖が長く続くことになって残酷であり、新憲法の趣旨にも反する」という理由で作られたもので[5]、「犯罪者に対する厳正な処罰のために、6か月で執行しなければならない」とする解釈は、本来の趣旨ではない。判決確定から6か月以内に執行されていないのが現状となっており[注 1]、実効性のない規定になっている[6]。2007年から2016年まで、10年間の死刑囚の執行について、確定から執行までの期間が最短だったのは1年4か月、最長は18年5カ月、平均では約5年だった[6]。
個々の事件の取調べ又は処分について検事総長のみに対する指揮権。(その他の一般的な指揮監督権は、全検察官に及ぶ)
司法書士への認定業務の付与や司法書士試験の実施、日本司法書士会連合会からの建議、答申、会則変更の認可など司法書士法に数多くの業務が規定されている。
国の利害または公共の福祉に重大な関係のある訴訟において、裁判所の許可を得て、裁判所に対して意見を述べることができる(国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律第4条)。
過去に実際に意見を述べたのは、1987年の森林法共有林事件(1987年4月22日違憲判決)と、2017年のNHK受信料訴訟(2017年12月6日合憲判決)の2件のみである。いずれも最高裁大法廷に対して「合憲」の意見書を提出した[7][8]。