泉鏡花
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1912年大正元年)、『三人の盲の話』(中央公論)、1913年(大正2年)、『印度更紗』(同前)。大正期には戯曲にも志を持ち、『夜叉ヶ池』(演芸倶楽部)、『海神別荘』(中央公論)を発表。1914年(大正3年)、『日本橋』を千章館より刊行し、ここで初めて装画の小村雪岱とのコンビを組む。1915年(大正4年)、『夕顔』(三田文学)。『鏡花選集』と『遊里集』を春陽堂より刊行。1916年(大正5年)、『萩薄内証話』。1917年(大正6年)、『天守物語』(新小説)。1919年(大正8年)、『由縁の女』を婦人画報に連載開始。1920年(大正9年)1月、『伯爵の釵』(婦女界)。このころ映画に興味を持ち、谷崎潤一郎芥川龍之介と知り合う。1922年(大正11年)、『身延の鶯』を東京日日新聞に連載開始。同年、『露宿』『十六夜』。1923年、関東大震災で被災、すずとともに2日間、四谷見附付近の公園で過ごした。1924年(大正13年)、『眉かくしの霊』(苦楽)。
晩年

1925年(大正14年)、改造社より『番町夜講』刊行。また春陽堂より『鏡花全集』刊行開始、鏡花を師と仰ぐ里見ク谷崎潤一郎水上瀧太郎久保田万太郎芥川龍之介小山内薫が編集委員を務めた。(1927年に完結)。この年、出会いから27年目、鏡花52歳にしてすずと入籍。1927年(昭和2年)、『多神教』(文藝春秋)を執筆。同年7月24日、芥川自殺の一報を聞き、泣き崩れるほどのショックを受ける[2]。同月27日、芥川の葬儀に出席。同年8月、東京日日新聞と大阪日日新聞の招待で十和田湖秋田などを旅行。またこの年から、鏡花を囲む九九九会(くうくうくうかい)が、里見と水上を発起人として始まり、常連として岡田三郎助鏑木清方、小村雪岱、久保田万太郎らが毎月集まった。会の名は、会費十円を出すと一銭おつりを出すというところから。1928年(昭和3年)、肺炎に罹患し、予後静養のために修善寺を訪れる。この年、各社の文学全集(いわゆる円本)で鏡花集が刊行される。1929年(昭和4年)、能登半島に旅行。この前後は紀行文の類が多い。1930年(昭和5年)、『木の子説法』(文藝春秋)。1931年(昭和6年)、『貝の穴に河童の居る事』(古東多万)。1932年(昭和7年)、『菊あはせ』(文藝春秋)。1934年(昭和9年)、『斧琴菊』(中央公論)。1936年(昭和11年)、戯曲『お忍び』(中央公論)。1937年(昭和12年)、晩年の大作『薄紅梅』を東京日日新聞、大阪毎日新聞に連載する。『雪柳』を中央公論に発表。帝国芸術院会員に任ぜられる。1938年(昭和13年)、体調を崩し、文筆生活に入って初めて一作も作品を公表しなかった。1939年(昭和14年)7月、『縷紅新草』を『中央公論』に発表するも、この月下旬より病床に臥し、9月7日午前2時45分、癌性肺腫瘍のため逝去。10日、青松寺にて葬儀が行われ、雑司ヶ谷霊園に埋葬。戒名は幽幻院鏡花日彩居士。里見ク佐藤春夫に命じ、徳田秋聲が選んだ。1940年、岩波書店より鏡花全集が刊行された。2024年(令和6年)に雑司ヶ谷霊園から菩提寺の円福寺(東京・神楽坂)に墓所が移転された[3]
略歴

1873年(明治06年) - 石川県金沢市下新町に生まれる。本名、鏡太郎。



1880年(明治13年) - 市内養成小学校に入学。

1884年(明治17年) - 金沢高等小学校に進学。

1889年(明治22年) - 尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んで文学に志す。紅葉の門下に入るため上京。

1891年(明治24年) - 紅葉に入門を許され、書生生活を始める。

1893年(明治26年) - 京都日出新聞に『冠彌左衛門』を連載。『活人形』『金時計』を発表。

1894年(明治27年) - 『予備兵』『義血侠血』を発表。

1895年(明治28年) - 文芸倶楽部に『夜行巡査』『外科室』を掲載。

1896年(明治29年) - 金沢の祖母を引き取り一家を構える。読売新聞に『照葉狂言』を連載。

1900年(明治33年) - 『高野聖』を発表。

1902年(明治35年) - 胃腸病のため逗子に静養。

1903年(明治36年) - 紅葉が急逝。

1907年(明治40年) - やまと新聞に『婦系図』を連載。

1913年(大正02年) - 『夜叉ヶ池』『海神別荘』を発表。

1919年(大正08年) - 婦人画報に『由縁の女』を連載。

1925年(大正14年) - 春陽堂より『鏡花全集』を刊行。


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