トランスニストリア(Transnistria)、沿ドニエストル(えんドニエストル、Transdniestria、Pridnestrovie)、公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国[1](えんドニエストル・モルドバきょうわこく、ロシア語: Приднестровская Молдавская Республика; モルドバ語: Република Молдовеняскэ Нистрянэ[注釈 1]、ウクライナ語: Придн?стровська Молдавська Республ?ка)は、東ヨーロッパにある事実上の独立国家。モルドバ東部を流れるドニエストル川と、モルドバとウクライナの陸上国境とに挟まれた南北に細長い地域に位置する。首都はティラスポリ。ロシア連邦の支援を受けているものの、国際的にはほとんど承認されておらず、モルドバの一地域として広く認識されている。
本記事では原則として、事実上の独立国家については「沿ドニエストル(共和国)」、地理的な範囲については「トランスニストリア」と呼ぶこととする。 沿ドニエストル共和国は、独自の政府
概要
モルドバとドニエストル左岸地域の未承認国家(沿ドニエストル共和国)の間で1992年に勃発したトランスニストリア戦争は、ロシアの支援を得た沿ドニエストル共和国が勝利し、ドニエストル左岸地域の大部分に対して、同国による実効支配が続くこととなった。以後、この地域にはロシア連邦の「平和維持軍」が駐留しており、保安維持している。
沿ドニエストル共和国は、アブハジア、アルツァフ、南オセチアの、国際的にほぼ承認されていない3つの国家にしか承認されていない[2]。国際的には当地域はモルドバの一部と認められており、モルドバは当地域を、特別な法的地位を有する自治地域ドニエストル左岸行政区画(ルーマニア語: Unit??ile Administrativ-Teritoriale din stinga Nistrului)と定めている[3][4][5][6]。
国名「en:Names of Transnistria」を参照
沿ドニエストル共和国は、ロシア語、モルドバ語、ウクライナ語を公用語としており、それぞれの語による正式名称が存在する。正式名称と略称、省略形は以下の通りである。
自称であるため、どの名称においても「?の向こう側」を表す「トランス」という表現は含まれていない。
なお、沿ドニエストル共和国で用いられる「モルドバ語」は実質的にルーマニア語と同じであるが、表記にはキリル文字が用いられる。
正式名称ラテン文字転写
ロシア語Приднестровская Молдавская Республика (ПМР)Pridnestrovskaya Moldavskaya Respublika
モルドバ語Република Молдовеняскэ Нистрянэ (РМН)Republica Moldoveneasc? Nistrean?
ウクライナ語Придн?стровська МолдавськаРеспубл?ка (ПМР)Prydnistrovska Moldavska Respublika
また、略称は以下のとおりである。
略称ラテン文字転写
ロシア語ПриднестровьеPridnestrovie
モルドバ語НистренияNistrenia
ウクライナ語Придн?стров'яPrydnistrovia
日本語では、沿ドニエストルまたはトランスニストリアが用いられるが、これらはロシア語名称「Приднестровье」(「ドニエストル川沿い」の意)および、ルーマニア語名称「Transnistria」(「ドニエストル川の向こう」の意)に由来している[7]。Transnistriaという語は、1989年、モルドバ人民戦線のメンバーであるモルドバ人代議士レオニダ・ラリの選挙スローガンの中で使われたのが最初である[8][9][10]。
一方、モルドバ政府は、この地域を「Unit??ile Administrativ-Teritoriale din Stinga Nistrului(ドニエストル左岸行政区画)」と規定している。
国際機関ではトランスドニエストル (Transdniester) という呼称が用いられる。略称はПМР(PMR)で、ロシア語の名称「Приднестро?вская Молда?вская Респу?блика」(Pridnestrovskaya Moldavskaya Respublika、沿ドニエストル・モルドバ共和国)に由来する。 この地域にはトラキアやスキタイの部族が住んでいた。紀元前600年頃、ドニエストル川の河口近く(現在のウクライナ領ビルホロド=ドニストロフスキー
歴史詳細は「en:History of Transnistria」を参照
古代
古代末期、東ローマ帝国は、破壊されたティラスの領域に城砦都市を建設し、アスプロカストロンと名づけた。その後オスマン帝国の侵攻を受けた際、この都市の住民の一部がドニエストル川上流に逃れて小さな集落を形成し、これが後のティラスポリとなった[11]。 6世紀には、トランスニストリアに南スラヴ人を含む様々な民族と文化が到達した。東スラヴ系民族も住んでいた可能性があるが、テュルク系民族に北に押しやられた[12]。 10世紀にはこの地域にルーマニア系民族が住んでいたことが『原初年代記』に記されている[12]。 11世紀頃にはキエフ大公国の支配下に入ったこともあった[12][13][14]。 14世紀にはジェノヴァ共和国の支配下に置かれ、対外貿易の拠点となった。 14世紀中頃に成立したモルダヴィア公国は、14世紀末までにドニエストル川まで版図を広げたが、その向こう側(トランスニストリア)に支配が及ぶことはなかった。 15世紀には正式にリトアニア大公国の一部となった。
中世