1982年、森下による記事発表の後に天野哲夫が『潮』1983年1月号で自分が沼正三であると宣言した。しかしこの宣言は虚偽ではないかとの指摘があり、議論は紛糾した。ただし、天野哲夫は「沼正三は私です。しかし、私一人とも言えない。当時、『奇譚クラブ』の仲間で合言葉のようにして作りあげた、共同ペンネームなのです」とも、語っている。
主な否定派の意見としては、天野哲夫が書いたことがはっきりしている『家畜人ヤプー』の後半部分(当初、『続・家畜人ヤプー』として冒頭部分のみが発表され、中断した部分以降)が、前半部分と大きく異なっていること、天野哲夫の他の作品と『家畜人ヤプー』の前半部分が大きく異なること、天野哲夫は以前より性風俗を扱った文章や小説を天野哲夫名義で発表しており、覆面作家として沼正三を名乗る必然性が感じられないこと、宣言以前の沼正三の文章や代理人を名乗っていた頃の天野哲夫の文章と、宣言後の天野哲夫の文章の矛盾、などが挙げられる。
団鬼六は、天野が沼を自称して続編を書いたがヤプーファンからは相手にされなかったと切り捨て[5]、澁澤龍彦も倉田卓次が沼正三だと考えていた。なお、武藤康史はヤプーの文体から、天野が書いたものを、倉田が添削したのではないかと、推測している。
天野哲夫の代理人的存在であった山田陽一
は、沼正三が天野哲夫であることには疑問を挟む余地がないと、否定派に対して、反論している。康芳夫は『綺譚クラブ』のオーナーから沼正三の連絡先を知らされて『家畜人ヤプー』の最初の版である都市出版社版の発行に携わっており、沼の正体を確実に知る人物の1人である[6]。その康は、1974年の著書『虚業家宣言』で、『家畜人ヤプー』の一部は沼正三の許可を得て、天野が執筆したのだから、天野哲夫説は完全な間違いではないとしている。さらに同書の中で、沼正三は文壇とは一切関係ない人物で、1974年時点で40代、東京大学法学部出身で某官庁の高級官僚であると人物像の一端を明かしていた[7]。しかし、2008年に天野哲夫が死去すると、これを翻して、生前の天野が主張していたように、やはり天野が沼であり、別のペンネームを用いたのは他の人たちの助言を取り入れて執筆したからであり、彼ら協力者との微妙な関係があったからだとしている[6][8]。
映画監督の中島貞夫は、2004年の著書『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』で都市出版社から『家畜人ヤプー』の単行本が出版される前に沼正三と会っていると明かしている。中島が1969年に監督したドキュメント映画『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』に出演したマゾヒストが実は沼正三本人なのだという。中島が『家畜人ヤプー』の映画化を希望すると、沼は自分は表に出たくないからと代理人を立てて来た。その人物が康芳夫であった[9]。天野哲夫は2008年に死去したが、中島貞夫は2009年に取材された『映画秘宝』誌で沼正三はこの間亡くなったと語っている[10]。
2021年の丸山ゴンザレスによる康芳夫へのインタビューでは、「沼正三は5人からなる」「その内2人は天野哲夫と倉田卓次」「メインライターは天野」「他の3人はまだ非公開」「全権代理人である康の死後に明らかになる」と語った[11]。
作品
『家畜人ヤプー』幻冬舎 全5巻
『家畜人ヤプー』(コミック) 辰巳出版 作画:シュガー佐藤 /石ノ森章太郎 全4巻
『家畜人ヤプー』(コミック) 幻冬舎 作画:江川達也 全9巻
『集成「ある夢想家の手帖から」』 太田出版 上下
『マゾヒストMの遺言』 筑摩書房
『懺悔録 - 我は如何にしてマゾヒストとなりし乎』 ポット出版
脚注^ 康芳夫『虚業家宣言 クレイをKOした毛沢東商法』双葉社、1974年、pp。87-88.
^ 内藤三津子『薔薇十字社とその軌跡』p.87(論創社、2013年)
^ 内藤三津子『薔薇十字社とその軌跡』p.93(論創社、2013年)
^ 内藤三津子『薔薇十字社とその軌跡』p.95(論創社、2013年)
^ 『文藝春秋』2004年9月号
^ a b 康芳夫「『家畜人ヤプー』秘話―沼正三氏の死に際し」『新潮』2009年2月号、新潮社、pp254-257
^ 康芳夫『虚業家宣言 クレイをKOした毛沢東商法』双葉社、1974年、p.94
^ 「墓碑銘」『週刊新潮』2008年12月18日号、新潮社
^ 中島貞夫『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』ワイズ出版、2004年、p.155
^ 鈴木義昭取材・文「中島貞夫ロングインタビュー」『映画秘宝』2009年9月号、洋泉社、p.61
^ “【スクープ!】昭和最大の奇書『家畜人ヤプー』の作者の謎が明かされる”. 丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー (2021年9月2日). 2021年12月9日閲覧。
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