油屋騒動
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このふたつ並んだお紺と斎の墓は比翼塚と称されている[2]

油屋は明治に入ると改装され旅館として営業し、山田駅前にも支店を出した。しかし第二次大戦の戦火により消失した[3]。さらにその後、油屋のあった場所は近鉄鳥羽線の線路を引くために切り崩され、当時を偲ぶものはほとんど残っていない(伊勢街道の線路際に「油屋跡」の石碑が立っている)。
脚注[脚注の使い方]^ ただし「九つ半」ならば、現在の時間概念では5月5日未明の事になる。また『立田紅於園調書』によれば、「九つ半」ではなく「四つ半」(午後11時すぎ頃)のことだったという。
^大林寺の沿革 大林寺公式サイト
^『安吾の新日本地理』安吾・伊勢神宮にゆく坂口安吾、1951年初出)「我々が宿泊を予定してきた油屋は戦火でなくなっていた」とある。

参考文献

中川梵『伊勢古市の文学と歴史』古川書店、1981年

関連項目

伊勢音頭恋寝刃

古市 (伊勢市)

外部リンク

大林寺 - 伊勢市古市町の浄土宗寺院。油屋跡の近くにあり、孫福斎とお紺の墓「比翼塚」がある。


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