華族の学問の切磋と子弟の教育を図るため、秋月種樹らとともに「通款社
」を結成した[3]。イギリス留学の経験から、イギリスの繁栄は議会によるところが大きいと考えていた[3]。そのため、日本も国会開設後は華族が上院議員として役割を果たすべきだと唱え、華族に対して議会制度を学ぶよう主張した[3]。この通款社の動きは、のちに華族会館の設立に繋がっていく。なお、帝国議会開設後は、自身も第1回貴族院子爵議員選挙にて貴族院議員に選出されている。日本の爵位
先代
(叙爵)子爵
河鰭家初代
1884年 - 1910年次代
河鰭公篤