河西昌枝
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選手のファンであった女優の淡島千景がオーナーとなって設立したバレーボールのクラブチーム「フジクラブ」にも参加、同クラブの中心選手として活躍した[3](フジクラブは国民体育大会バレーボール競技一般女子の部において、1965年1966年と二連覇した。1968年頃までには活動を終えたという[3])。またその後は、ママさんバレー教室の講師も務め、普及に尽力した[3]

2003年3月に日本バレーボール協会の女子強化委員長に就任し、 2004年アテネ五輪では全日本女子チームの団長(チームマネージャー[4])を務めた。

2008年バレーボール殿堂入りを果たした。

2013年10月3日、脳出血のため東京都内の病院で死去。80歳没[3][5]
人物・エピソード

1962年の世界選手権対ソ連戦で、1セット目を先取され皆が意気消沈していると、河西は
前田豊団長に「あの程度の相手なら必ず勝ちます」と言い放ち、平然とプレーを続けたという。コート内で冷静な判断を行える司令塔がいたことが東洋の魔女の強みでもあった。

周囲が目を覆うような過酷な練習が続いた日々の中、結婚を先延ばしした河西は大松博文監督へのささやかな抵抗として、爪を伸ばしていた[6]

「バレーボールの応援団長」を自任し、オリンピックの際には自費で現地に駆けつけ応援したという[3]

球歴

所属チーム履歴
山梨県立巨摩高等学校 → 日紡関ヶ原 → 日紡足利 → 日紡貝塚( - 1964年)

全日本代表としての主な国際大会出場歴

オリンピック - 1964年

世界選手権 - 1960年、1962年


関連作品

いだてん?東京オリムピック噺?』(2019年、NHK) - 演:安藤サクラ

脚注^ Remembering the Oriental Witches: Sports, Gender and Sh?wa Nostalgia in the NHK Narratives of the Tokyo Olympics / Oxford University Press
^オリンピック│日本バレーボール協会
^ a b c d e “引退後も凄かった「魔女主将」”. 東京スポーツ (2013年10月5日). 2015年8月12日閲覧。
^【訃報】1964年東京オリンピック女子バレーボール主将 中村(旧姓:河西)昌枝さん(80歳)逝去 - 日本バレーボール協会 NEWS 2013年10月03日
^ “【バレー】「東洋の魔女」主将・河西昌枝さん死去”. スポーツ報知 (報知新聞社). ⇒オリジナルの2013年10月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131003224911/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/ballsports/news/20131003-OHT1T00087.htm 2013年10月3日閲覧。 
^ “「鬼」に逆らった爪=「金」の裏の女らしさ?中村昌枝さん死去”. 時事ドットコム (時事通信社). (2013年10月3日). ⇒オリジナルの2013年10月3日時点におけるアーカイブ。. https://archive.li/Pp5Ib 

参考文献

VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1964年10月号 44-45ページ

外部リンク

河西昌枝
- 国際オリンピック委員会 (英語)

河西昌枝 - オリンピックチャンネル

河西昌枝 - Olympedia (英語)

河西昌枝 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)

河西(中村)昌枝 - NHK人物録

  バレーボール全日本女子










バレーボール全日本女子 - 1960 世界選手権 2


1 堀江方子


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