2006年末には自身初のディナーショーも行った。
2007年10月31日に「Once Again」をリリース。河村が2003年のツアーからライブで既に披露している楽曲。
同年12月5日、2枚目のカバー・アルバムとなる『evergreen anniversary edition』をリリース。このアルバムではファンクラブのリクエストやスポーツニッポンのリクエストを参考に楽曲がチョイスされている他、自身のこれまでのシングルをセルフカバーし、ライブDVDまでついた3枚組としてリリースされる。
2013年5月29日、18枚目シングル「七色」をリリース。自身初のドラマ主題歌に使用された。また、この日はLUNA SEAを結成してから25年目という日でもある。
2013年9月4日に発売されたDEAD ENDのトリビュート・アルバム『DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS-』に、ボーカルとして「I Can Hear The Rain」をカバーしている(RYUICHI名義)。DEAD ENDのヴォーカルMORRIEのファンであり、一説では衣装や髪形、ライブパフォーマンスはMORRIEを強く意識したものである。
2020年の大晦日、ももいろ歌合戦(BS日テレ・ニッポン放送・AbemaTV)へ初出場。 ソロデビュー時は波に関する歌詞や編曲も見られたが、現在は「サーファー耳」という病気[注 1]が進行し、これ以上続けると聞こえなくなる可能性があるため現在は控えている。 自身のDVDでもシャドーする動画が見られる。元WBC世界スーパーフライ級王者の徳山昌守の防衛戦では、「君が代」も歌唱した。なお、好きなボクサーにはメキシコのリカルド・ロペスを挙げている[4]。 同車の288GTOを所有するなど自動車マニアでもあり、自身のレースチームも持つ。土屋圭市と親交があるほか清水草一とトークショーを開くなど、業界人との交流も深い。また国内A級ライセンス取得を目指しており、サーキットを走行するほか公式レースにも参戦している。ドリフトにも注目しており、フェラーリでドリフトする為の練習用に購入したスカイラインを左ハンドルに改造するなどしており、実績も2005年7月には愛車のS14シルビアでドリフトイベントに参戦。タレントでありレーシングドライバーでもあるヒロミと対戦し、勝利した。2007年のF1日本GPでは「君が代」独唱を担当した。 2018年のザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメントでは著名人の部で2位に入賞した。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) LUNA SEAには5人のメンバーの中で最後に加入している。 高校二年で中退し、17歳の時上京。アパートを借りることができず、友人の家を転々としながら、アルバイトとバンド活動をしていた。町田のライブハウスでLUNA SEA(当時LUNACY)に出会い、バンド解散とLUNA SEAのボーカル脱退に伴い加入した[5]。 LUNA SEAのインディーズ時代は数々のアルバイトをしていた。2006年5月6日発売の『音楽と人』で「せっかくアルバイトが決まっても、週6日リハーサルで1日ライブっていう生活をしていたからすぐにクビになっちゃった。」と語っている。また、2008年1月22日放送の『徹子の部屋』では「アルバイトではいろいろな体験をした。アイスクリーム工場で零下30度の中、本当は1時間ごとに休憩しなければいけないところ、5時間もぶっ通しで作業をしていたこともある。仕事を終えてリハーサルに向かう車では、体中の関節という関節が固く、解凍されるものの気持ちがわかった。」と語っている。その他、ヘーベルハウスの建築現場でのアルバイトを「求人広告には軽作業と書いてあったのに、この世のものとは思えないほど重いものを運ばされた。」と回想していた。また、同番組内では今後の自分の音楽の方向性として「今までは、人生の中で両極端の幸せや辛さを歌うことが多かったが、なんでもない日常の幸福などを歌っていきたい。」と話している。これはTourbillonの「もう一度君に」リリース時のインタビューでも語っており、「結婚してから、歌いたい物の方向性が変わった」と話している。 LUNA SEAがREBOOT以降、偶にLUNA SEAのライブでギターを演奏するようになった。 腕の刺青をレーザー手術で消しているが消し切れておらず、このため、メディアに登場する時は必ず長袖を着用している。 幼い頃から西城秀樹のファンであり、彼に影響を受けていることを公言していた。西城とは自身ソロ歌手で初出場の『NHK紅白歌合戦』(1997年)での共演後から親交があり、彼の影響で最近はゴルフにも興味を持ち始めている。しかし西城は2018年5月16日に63歳で病死。河村は「紅白歌合戦の楽屋で、ソワソワしていた時気さくに声を掛けてくれたのが秀樹さんで、そのお陰で心が安らぎました。それからはずっと兄貴のように慕っていました」と懐古。西城の出身地・広島県へのライブに向かう途中に訃報を聞き、「丁度虫が知らせるじゃないんですが、その1・2週間前からよく友人と秀樹さんの話になったんですよね…」と寂しげに語っていた[6]。 T.M.Revolutionの西川貴教は、同い年/同期で、インディーズ時代からの知り合い。 2006年5月24日発売のカバー・アルバム『evergreen ?あなたの忘れ物?』でオフコースの「YES-YES-YES」を取り上げているが、河村は2006年5月13日発売の『CDでーた』で、「純粋に小田和正さんの声が素晴らしいと感じた」と話している。また、同年5月18日配布のフリーペーパー『R25』で、「音楽に携わるものとしての自我に目覚めた」と語っている。 2013年参院選においては、鈴木寛の推薦人となっている。 1997年 発売日タイトルカップリングオリコン最高位初出アルバム備考
人物
趣味・嗜好
サーフィン
ボクシング
フェラーリ
ゴルフ
エピソード
出典検索?: "河村隆一"
LUNA SEA関連
個人的内容
受賞歴
第13回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 新人俳優賞(『ふたり』)
ディスコグラフィ
シングル
1st1997年2月21日I love youCIELO4位Love
2nd1997年4月23日GlassKiss2位ミリオン
3rd1997年7月18日BEATKI SE KI4位
4th1997年10月15日Love is...xyZ4位
5th2001年4月25日N?Open your heart / Stay with me5位深愛?only one?
6th2001年6月21日静かな夜は二人でいよう眠れない夜 / Flight6位
7th2001年8月22日ジュリアYeah Yeah / 浪漫6位
8th2001年10月24日君の前でピアノを弾こうgeneration / share my destiny9位
9th2001年11月21日恋をしようよBreak an anxious night / 深月に恋文したためて18位
10th2002年4月24日Sugar LadyI wanna be loved12位very best of songs...
ー2003年F114B激痛ーアルバム未収録ファンクラブ限定
11th2004年3月3日SPOON/Missing youー9位VANILLA両A面
12th2007年4月18日誰の為でもなく君に...Flow / きらめきの向こう15位ORANGE
13th2007年10月31日Once Againあの日の少年 / Hello Hello27位evergreen anniversary edition
14th2009年2月4日ヒロイン誰もかれも騎士 / 緑の詩15位ピアノ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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