河原崎座
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^ 寛永10年(1633年)に都伝内(みやこ でんない)という者が堺町に櫓をあげ、これを都座(みやこざ)といったが、間もなく経営難で廃座となった。
^ 寛文元年(1661年)に桐大内蔵(きり おおくら)という者が木挽町五丁目に櫓をあげ、これを桐座(きりざ)といったが、これも間もなく経営難で廃座となっている。
^ ただし実際には1年目は大入り、2年目もそこそこだったが、3年目は資金繰りがつかずついに一度も幕を開けられなかった。
^ a b c 森田座は安政4年(1858年)に座名を守田座(もりたざ)と改めているが、これは積年の経営不振を座名のせいにして改称したものとして知られている。「森の下に田」では陽当たりが悪くて稲穂の実のりが悪いのも当然で、これを「田を守る」と改めればきっと豊作になるだろう、というをかついだのである。
^ 天保8年(1837年)から安政3年(1856年)まで。
^ 同じ年には吉原を唯一の公娼とし、城下での遊廓を一切禁じている。聖天町はこの吉原に隣接した地にあった。
^ 安政から明治初年ごろまでの錦絵や書籍には、「猿若町」に「さるわかまち」と仮名を振ったものと「さるわかちょう」したものが混在する。明治末年以後に出た町名便覧などの官庁発行による文書では「さるわかちょう」としているものが多いが、地元では一貫して「さるわかまち」と呼んでいたという。
^ 三座が猿若町に軒を連ねた30年間に火災で焼失したのは安政2年(1855年)河原崎座のただ1度のみだった。その後の30年間には三座とも度重なる失火や類焼による被災で頻繁な修理や再築を余儀なくされていたのとは対照的である。
^ a b 喜昇座(きしょうざ)→ 久松座(ひさまつざ)→ 千歳座(ちとせざ)→ 明治座(めいじざ)と改称。
^ 奥田座(おくだざ)→ 春木座(はるきざ)→ 本郷座(ほんごうざ)と改称。
^ 河原崎座は安政2年(1855年)に失火で全焼すると休座に追い込まれ、代わって翌年には本櫓の森田座が再興された。その後座元の六代目河原崎権之助は市村座の舞台に立ち金主(財務責任者)を兼ねるなど活躍したが、明治元年(1868年)9月に自宅に押し入った浪人の強盗に刺し殺される。このとき戸棚に隠れて九死に一生を得たのが養子の七代目権之助、のちの河原崎三升で、これが明治7年(1874年)に芝新堀町に河原崎座を再興し、のちにこれを新堀座(しんぼりざ)と改めている。三升はこれを節目に生家の市川家に戻って九代目市川團十郎を襲名、明治9年(1876年)には旧本櫓筋にあたる新富座(森田座)の座頭(興行の責任者)になっている。
^ この守田座の新富町への移転と新富座への改称も、山積する負債からなんとか抜け出したいという願いを込めた験かつぎだった。文字通り「新しい富」を求めたのである。
^ 中村座 → 猿若座(さるわかざ)→ 鳥越座(とりごえざ)→ 中村座と改称。
^ 幕末の中村座の舞台間口は6(約11メートル)、明治11年(1878年)落成の新富座は8間(約15メートル)、明治22年(1889年)落成の歌舞伎座は13間(約24メートル)あった。
^ それまでの芝居小屋は天窓から明かりをとっていたため、上演は早朝から日没までと決っていた。明治7年(1874年)1月に刷られた中村座の番付(演目表)は上演時間帯を明記したものの初見だが、そこにも「午前七時より相始め、午後五時迄」と書かれている。
^ 歌舞伎座はかつての芝居町だった木挽町4丁目に建設されたが、この界隈はそもそも森田座の本貫であること、歌舞伎座は当時最大だった新富座よりもさらに大きい劇場となったこと、新富座がガス灯照明なのに対し歌舞伎座は当時最新の技術だった電灯を使用していたこと、法人として新設された歌舞伎座には従前の座と座の間の因習が通じないことなど、守田にとって歌舞伎座は面白くないことばかりだった。
^ このとき守田に支払われたのは2万円で、これは劇場が一つ建つほどの大金だった。歌舞伎座の総工費が3万5千円だった時代のことである。
^ このとき守田は歌舞伎座の舞台に左から黒-柿色-萌葱色の守田座式の定式幕をちゃっかりと転用しているが、これがそのまま定着して歌舞伎座の定式幕となり今日に至っている。

参考文献歌川広重画 『猿わか町よるの景』 安政3年秋の猿若町。日没とともに上演は終了して芝居小屋は静まり返り、櫓からは定紋を染め抜いた幕も外された。それでも芝居町は芝居見物後の客に酒や食事を出していた芝居茶屋のおかげで夜更けまで人の気配が絶えなかった。

『明治劇談  ランプの下にて』(岡本綺堂 著、岩波文庫

『歌舞伎談義』(岡本綺堂 著、青蛙房

『綺堂年代記』(岡本経一 編、青蛙房)

『続々歌舞伎年代記』(田村成義 編、鳳出版)

『岩波講座  日本文学史』第七巻「演劇の興隆」(鎌倉恵子・小笠原恭子 共著、岩波書店

『歴史散策  東京江戸案内』巻の二「歌舞伎と落語篇」(桜井正信 編、八坂書房

『浅草猿若町』(新美武 著、新美商店)

『写楽仮名の悲劇』(梅原猛 著、新潮社

『江戸文化誌』(西山松之助 著、岩波書店)

『江戸演劇史』上下巻(渡辺保 著、講談社

『ロングフェロー日本滞在記』(チャールズ・ロングフェロー 著、山田久美子 訳、平凡社

『歌舞伎座百年』「木挽町の芝居」(川尻清潭 述、株式会社歌舞伎座

『江戸食文化紀行』「江戸の芝居小屋と木挽町」「芝居茶屋」(松下幸子 監、株式会社歌舞伎座)

ほか
関連項目

劇場

道頓堀五座(浪花座、角座中座朝日座、弁天座)


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