1928年、旧制立教中学校卒業後、二代目市川猿之助に入門。市川笑也と名乗る。1928年4月初舞台。1931年三代目三代目中村翫右衛門、四代目河原崎長十郎などとともに前進座を結成。1932年4月五代目河原崎國太郎を襲名。1934年の『お染の七役』で主演しその才能が開花した。
古風な色気のある芸で、南北や黙阿弥の世話物に本領を発揮、特に『処女翫浮名横櫛』の切られお富は、初演時の三代目澤村田之助や明治大正の四代目澤村源之助による悪婆物の芸を伝える役として、高く評価された。他の当たり役は前期の『お染の七役』での土手のお六、『絵本合法衢』のうんざりお松、『一本刀土俵入』のお蔦など。
晩年は映画やテレビドラマにも多く出演した。1990年10月11日、80歳で死去。河原崎が死去した際、息子の松山英太郎は癌で入院中で、父の葬儀に参列できなかった。松山は翌年の1月、父の後を追うように亡くなった。
親族、長男は俳優の松山英太郎、次男は同じく俳優の松山政路、次女は日本舞踊家の藤間多寿史(女優の松山梨絵)[6]、孫は歌舞伎役者の6代目河原崎國太郎、7代目嵐芳三郎、女優の由夏、俳優の芦田昌太郎、女優の松山愛佳がいる。
映画
『街の入墨者』(1935年、山中貞雄 監督): お雪 役[7]
『戦国群盗伝』前後篇(1937年、滝沢英輔 監督): 土岐左衛門秀国 役
『元禄忠臣蔵』前後篇(1941?1942年、溝口健二 監督): 磯貝十郎左衛門 役[8]
『どっこい生きてる』(1951年、今井正 監督): 大家の山川 役[8]
『箱根風雲録』(1952年、山本薩夫 監督): 快長僧正 役[8]
『美女と怪龍』(1955年、吉村公三郎 監督): 早雲王子 役[9][8]
『男はつらいよ 私の寅さん』(1973年、山田洋次 監督): りつ子の恩師 役[8]
『分校日記 イーハトーブの赤い屋根』(1978年、熊谷勲 監督): 校長 役[10]
『スター・ウォーズ』(1978年、ジョージ・ルーカス 監督): オビ=ワン・ケノービ 役
『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(1980年、アーヴィン・カーシュナー 監督): オビ=ワン・ケノービ 役
『父よ母よ!』(1980年、木下惠介 監督): 児童心理学者 役[8]
『アッシイたちの街』(1981年、山本薩夫 監督): 坂田 役[10]
『さくら隊散る』(1988年、新藤兼人 監督)[11][8]