汽車のえほん
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第3巻が出版されると、親しみやすい絵柄と大胆な色使い・構図でダルビーは人気を得、先の2冊が版を重ねる際には、ダルビーの挿絵に差し替えられることになった。挿絵の出来が刊行順と無関係に3巻→2巻→1巻と上手くなっているのはこれが理由である。

※日本語表記は長らく「レジナルド・ドールビー」だったが(英語で語頭がアクセントのある"al"の場合、ほとんどが[o:l]と発音する)、2005年刊行の新装版以降は「レジナルド・ダルビー」に変更された。

なお、本巻の出版された1948年に、第二次世界大戦の影響で荒廃し、莫大な負債を抱えたイギリスの四大私鉄が全て国有化され、イギリス国鉄となった。鉄道国有化の影響で、この巻からトーマスたちの働く鉄道も国有化(北西局となった)された。トップハム・ハット卿の肩書きも「重役(Director)」から「局長(Controler)」になっている。
第4巻 - 第11巻

以後、人気に応えて、1年に1巻のペースで、オードリーの文とダルビーの挿絵でシリーズは続刊していった。

しかし、ダルビーの挿絵は当初から機関車や鉄道部分の細部描写がいい加減で、挿絵同士の一貫性にも問題があり、鉄道に詳しく描写のリアリティーを求めるオードリーには不満があった。オードリーがそのことで不満を述べると、挿絵の打ち合わせが度々言い争いになった。そして第11巻「ちびっこ機関車パーシー」の執筆中、オードリーがパーシーを見て「これじゃ赤線の入ったイモムシだ」と言ったことにダルビーが激怒、積年の確執からダルビーは挿絵を降板した。

この時代は、第二次世界大戦の終戦に伴い、戦地となって荒廃した世界各地の鉄道が復興・近代化を進めていた。それと同時にディーゼル機関車や電気機関車・電車が高性能化・高速化し台頭、蒸気機関車の置き換えが始まっていた。また、4大私鉄の負債を引き継いだイギリス国鉄においては、地方の不採算路線の廃線が進められていた。そのような時代の中、イギリス各地で勃興しつつあった保存鉄道の運動に共鳴したオードリーは、第10巻には、実在の保存鉄道であるタリスリン鉄道(原作旧版での日本語表記は「タリリン鉄道」)をモデルにした狭軌のスカーロイ鉄道も舞台に加えた。
第12巻 - 第17巻

ダルビーにかわり、同じくレスター生まれのジョン・セオドア・アードリー・ケニー(John Theodore Eardley Kenney 1911年 - 1972年)が「八だいの機関車」から挿絵を担当した。ケニーの絵のスタイルはそれほどカラフルでなく、より現実的でリアルでダルビーとは随分と異なるものだったが、挿絵のために機関車をスケッチしたり、アトリエの存在も子供たちに知られ、リアル指向のオードリーとは良好な関係であり、どことなくユーモア漂う作風も、読者にもすぐ受け入れられた。

ケニーは口の横のエクボを深く描いたことで、機関車の表情を豊かにした。また、ダルビーが描いたエドワードやジェームズの半円型の眼が普通の丸眼に変更となっている。ケニー独自の顔は何種類もあるが、顔の中央を黒っぽくして非常にリアルな顔を描くというものがあり、特に第13巻 - 第15巻で見られる。驚いたり怒ったりした時の、丸眼を縦長にしてまゆ毛を逆立てた顔は迫力があり、良い味を出していた。しかし、眼疾患による失明のため交代を余儀なくされ(後にその疾患が原因で死去)、 担当巻数は最も少ない。

当時のイギリス国鉄では近代化計画が進められており、蒸気機関車の淘汰・ディーゼル機関車への置き換えが進んでいた。危機感を抱いた牧師は、保存鉄道での活動を活発化させる。絵本でも蒸気機関車の保存活動を描く傾向が強まり、13巻・15巻の物語では特にその影響が見られる。また、13巻では実在する著名な機関車シティ・オブ・トルーローが登場した。
第18巻 - 第26巻

ケニーの代わりとして出版社が選んだ5人目の画家は、スウェーデン生まれの女性画家、ガンバー・エドワード (Gunvor Edward) であった。 彼女は「がんばりやの機関車」から早速担当することになった。まず第4話の初めの挿絵から始めてみたが、限られた構図の中に5両の機関車を正確に描くのは、自分では困難な仕事であると感じたようで、同じ画家の夫ピーター・エドワード (Peter Edward) に描けるかどうか試してもらった。このことがきっかけで仕事を手伝ってもらい、後にピーターが機関車、ガンバーが背景の担当になった。ちなみにロンドン生まれのピーターはガンバーと英国で知り合い、結婚後一度スウェーデンに住んでから、ロンドンに戻っている。

こうしてガンバー&ピーター・エドワーズの共作挿絵によりシリーズは再開した。オードリーと新しい挿絵画家夫妻との関係は最初のミーティングから順調に進んだ。実際の保存鉄道の機関車を見て描く等、機関車のディテールは歴代挿絵画家中最高の精度で、細部の挿絵は巧みで魅力があり「明らかにキャラクターに対する愛情を持っています」と語るまでに、オードリーはエドワーズ夫妻の挿絵の仕事に感謝した。

1960年代に入り、イギリス国鉄の無煙化・近代化計画は急速に進行した。多くの蒸気機関車がディーゼル機関車・電気機関車・電車への置き換えに伴いスクラップとなり、イギリスの本線上から蒸気機関車が消えるのはもはや時間の問題であった。また、イギリス国鉄の財務収支改善のため、多くの不採算地方路線が廃線され(ビーチング・アックス)、その跡地を利用した保存鉄道群が増えていった。このような事情もあり、オードリーは保存鉄道の援助活動により注力するようになった。18巻・23巻では、暗にイギリス国鉄の無煙化計画を批判しているとも取れる描写も存在する。従来から描かれているスカーロイ鉄道(タリスリン鉄道)の物語が増えた他、18巻ではブルーベル鉄道、19巻ではスノードン登山鉄道、22巻ではレイブングラス・エスクデール鉄道をそれぞれ援助するための物語が描かれた。また、13巻に続き、18巻のステップニーや23巻のフライング・スコッツマンなど、現実に保存されている著名な蒸気機関車が登場している。エドワーズ夫妻はこれらの保存鉄道や蒸気機関車達の姿をリアリティーある挿絵に仕上げ、物語を魅力的に彩った。

1968年にイギリス国鉄で蒸気機関車の運行が終了した。蒸気機関車を主題とした創作の題材を取得し難くなったこともあり、オードリーは「井戸は干上がった」と感じて、第26巻「わんぱく機関車」をもってこの絵本シリーズをいったん終了することにした。
日本での翻訳・出版

日本での翻訳・出版のきっかけは第15巻の裏表紙裏に記されている。当時英国に在住中だった桑原三郎が偶然本屋で見つけ、親子で愛読書としたのが始まりだった。これに清水周裕も加わった2人で翻訳をつとめ、児童書で有名なポプラ社から出版されている。また黒岩源雄(初版出版当時京成電鉄顧問。その後北総開発鉄道社長、鉄道工作協会会長等を歴任し、2002年6月29日没。第15巻に名前が触れられただけで、ほとんどノークレジット)による鉄道専門用語についての監修を得たことで、鉄道用語(英語が分化した頃なので、英米で単語の違いが激しい)の翻訳が「はつらいしんごうき(発雷信号機)」「かんしょうき(緩衝器)」などと正しく訳されている。
第26巻までの刊行リスト

■は「
スカーロイ鉄道」の登場巻。ただし12巻と19巻はメインの登場ではない。

ISBNは、旧版、新装版、「ミニ新装版」、「新・汽車のえほん」の順に記す。ただし16巻以降については新装版が発売されていない。また新装版以降ではキャラクター名の一部がテレビシリーズと同じ表記(ジェームズ→ジェームス、トービー→トビー)に変えられている。


1973年11月刊 汽車のえほん1 三だいの機関車1945年・THE THREE RAILWAY ENGINES)
ISBN 978-4591005637, ISBN 978-4591085646, ISBN 978-4591120057, ISBN 978-4591168523


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