決闘用ピストル
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決闘で命を失ったことでも知られるロシアの文人アレクサンドル・プーシキンが行った決闘がまさにこの形式であった[18]。また、フィクションにおける決闘として有名な、トルストイの小説『戦争と平和』のピエールとドーロホフの決闘もこの形式である[20]
競技用の決闘1908年のロンドン・オリンピックで準競技として行われた決闘の写真。詳細は「拳銃決闘(英語版)」および「決闘 (オリンピック競技)」を参照

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、競技化されたピストル式決闘が行われていた。これは蝋で作られた非致死性の弾丸(ワックス弾)を用いたもので、実包型で火薬の装填は不要であった。参加者は厚手の防護服と目の部分が防護ガラスで覆われたフェンシングのマスクに似た金属製のヘルメットを装着した[21]。ピストルを用いた決闘は1906年と1908年のオリンピックで(メダルはない)準競技種目として採用されていた。

フランスのフォーレ・ル・パージュ社は、このような決闘競技専用のピストルを製造した。これはブレイクアクションの単発式銃であり、ピストルの持ち手を保護するために引き金の前にシールドが取り付けられていた[22]
製造メーカー

ピストルを使った決闘は18世紀半ばにイギリス、フランス、植民地時代のアメリカで盛んになった。当初は一般的な騎兵ピストルや旅行用ピストルが用いられていたが、18世紀末までにはイギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、アメリカの職人によって決闘専用のピストルが製造されるようになっていた[7]

最も有名で革新的であったメーカーは、ウォグドン&バートン(英語版)、ダース・エッグ(Durs Egg)、マントン(Manton)、モーティマー(Mortimer)、ノック(Nock)、パーディー(Purdey)といったロンドンに本拠地を置く会社であった[7]。特にウォグドンは決闘用ピストルの代名詞的存在となり、決闘のことを弁護士が「ウォグデン事件」と呼ぶことさえあった[23]

決闘用ピストルは多くの場合、2挺1対の形で木製のケースに入れられて販売された。このケースの中には、さらに火薬入れ、洗浄と装填のためのロッド、予備のフリント、スパナなどの工具、弾丸の型なども収められていた[14]
ギャラリー

イギリス製で、銃用雷管を用いた後期モデルの決闘用ピストル。ケースには英国王室御用達の印が押されている。

1804年にアーロン・バーアレクサンダー・ハミルトンの決闘(バーとハミルトンの決闘(英語版))で使用されたウォグドン&バートン社製の初期型フリントロック式決闘用ピストル。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ この決闘によって、代議士のサー・チョムリー・デリング(英語版)が死亡した[2]
^ 弾丸は約253m/s(830ft/s)の銃口速度で発射された。これは.52口径の弾丸としては現在の.45ACP弾に相当する威力であり、致死を含む相当の重傷を負わせることが可能であった[8]。ただし、平均速度が385m/s(1260ft/s)や305-610m/s(1001-2001ft/s)も容易に達成でき、これは量販の低品質フリントロック式ピストルで一般的な威力であった[9]
^ アレクサンドル・プーシキンは手慣れた決闘者であり、1837年2月8日(O.S.)のジョルジュ・ダンテスとの決闘までに29回もの経験があった。ダンテスとの決闘も腹部に傷を負うも反撃して、彼に傷を負わせている。この傷が元でプーシキンが亡くなるのは決闘の2日後であった[10]
^ 1825年にパリで起きたアイルランド人同士による決闘の記録によれば、一方はイギリス製のウォグドン&バートンの決闘用ピストルを、もう片方はライフリングされた銃身とヘアトリガーを備えた、より洗練されたフランス製のピストルを持参していた。この格差にもかかわらず、両者共に自身のピストルを用いるつもりであったが、介添人が仲裁に入り、どちらかの決闘用ピストルを用いることが決まった。そしてコイントスでフランス製の方が用いられることになった。ところが、イギリス製ピストルの持ち主は、フランス製のヘアトリガーに慣れておらず、準備が整う前に誤発射してしまった。この結果、フランス製ピストルの持ち主が十分に狙いを定めるまでの1分間、その場に静止し続けなければならなかった。なお、彼は弾を外した[16]

出典^ “Pair of Flintlock Duelling Pistols ca. 1815?20”. www.metmuseum.org. 2022年7月25日閲覧。
^ a b Shoemaker, Robert B. (2002-09-22). “THE TAMING OF THE DUEL: MASCULINITY, HONOUR AND RITUAL VIOLENCE IN LONDON, 1660?1800” (英語). The Historical Journal 45 (3): 525?545. doi:10.1017/S0018246X02002534. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISSN 0018-246X. https://www.cambridge.org/core/product/identifier/S0018246X02002534/type/journal_article. 
^ a b c Kinard (2003) pp.29?30
^ (英語) The Art of Duelling, by a Traveller. J. Thomas, F.C. Westley, R. Willoughby. (1836). pp. 47. OCLC 781052520. https://books.google.com/books?id=4EdfAAAAcAAJ&dq=duel%20delope&pg=PA62. "If a pistol misses fire the party loses the shot: he cannot, under any circumstances, be permitted to fire again." 
^ “Robert Wogdon: duelling pistols” (英語). The Field. (2020-01-17). https://www.thefield.co.uk/shooting/robert-wogdon-duelling-pistols-43609. 
^ “www.exetermemories.co.uk/EM/_events/last_duel.php”. 2008年11月20日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2024年1月22日閲覧。
^ a b c d Flayderman, Norm (17 December 2007). Flayderman's Guide to Antique American Firearms and Their Values (9 ed.). Iola, Wisconsin: F+W Media, Inc. pp. 453?454. ISBN 978-0-89689-455-6. https://books.google.com/books?id=THeWYkwoLSUC&pg=PA453 
^ Krenn, Peter; Kalaus, Paul; Hall, Bert (6 June 1995). “Material Culture and Military History: Test-Firing Early Modern Small Arms”. Material Culture Review. https://journals.lib.unb.ca/index.php/MCR/article/view/17669/22312#no10. 
^ “How Flintlock Guns Work” (2000年4月). 2024年1月22日閲覧。
^ Cohen, Richard (10 June 2010). By the Sword: Gladiators, Musketeers, Samurai Warriors, Swashbucklers and Olympians. New York: Simon and Schuster. pp. 133?134. ISBN 978-1-84983-166-6. https://books.google.com/books?id=r2gXKvBVJ64C&pg=PT133 


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