池部について妻の美子は「主人は本当に優しい人で決して自分から売り込んだりする人ではありませんでしたけど、原作者の先生方(志賀直哉、川端康成など)にとても好かれていたようです。」と述べている[27]。
所有していた書籍や新聞・原稿のうち、資料のほとんどを早稲田大学が引き取った[27]。また、麻布図書館に設けられた「池部良さんの本棚」は妻の美子から寄贈された書籍の棚である[27]。
家族・親族
池部家
父・鈞[28][29][30][1][31](1886年 - 1969年) - 風刺・風俗漫画家として一世を風靡した。日本芸術院より恩賜賞を受賞[32]。
母(画家・漫画家岡本一平の妹)
妻・美子[3](森永製菓二代目社長の松崎半三郎が祖父にあたる) - 祖父・松崎半三郎の800坪のお屋敷(麻布本村町)で育った[27]。麻布の自宅から立教女学院(三鷹台)までお手伝いさんの送り迎えつきで通った[27]。結婚について美子は「池部とは、とある雑誌の編集長主催の食事会で知り合った。仕組まれたお見合いみたいなものだったのでしょう。母も私も池部良が有名な俳優である事を知らなかった。」と述べている[27]。
親戚
従兄・岡本太郎(芸術家)[33]
従姪・安倍昭恵(衆議院議員・内閣総理大臣の安倍晋三の夫人)
出演
映画『現代人』(1952年)『早春』(1956年)『乾いた花』(1964年)『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(1966年)
闘魚(1941年)
希望の青空(1942年) - 太田務
緑の大地(1942年)
戦争と平和 (1947年)
四つの恋の物語(1947年)
春の饗宴(1947年)- 早坂三平
わが愛は山の彼方に(1948年)
破戒(1948年)
青い山脈(1949年)
続青い山脈(1949年)
私刑 リンチ(1949年)
深夜の告白(1949年)
暁の脱走(1950年)
暁の追跡(1950年)
石中先生行状記(1950年)
愛と憎しみの彼方へ(1951年) - 北原浩
熱砂の白蘭 (1951年)
恋人(1951年)
青い真珠(1951年)
ブンガワンソロ(1951年) - 深見伍長
平安群盗伝 袴だれ保輔(1951年)
若い人(1952年)
現代人(1952年)
丘は花ざかり(1952年)
坊つちやん(1953年) - 坊ちゃん
都会の横顔(1953年)
わたしの凡てを(1954年) - 関三郎
さらばラバウル(1954年)
風立ちぬ(1954年) - 福山良一
恋化粧(1955年)
不滅の熱球(1955年)
大番頭小番頭(1955年)
乱菊物語(1956年)
早春(1956年)
吸血蛾(1956年) - 金田一耕助
白夫人の妖恋(1956年) - 許仙[1]
雪国(1957年)
脱獄囚(1957年)
美しき哀愁 アンコールワット物語(1958年)[注釈 3]
重役の椅子(1958年)
東京の休日(1958年)
潜水艦イ-57降伏せず(1959年) - 河本少佐[34]
暗夜行路(1959年)
宇宙大戦争(1959年) - 勝宮一郎[1]
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年) - 先任参謀[34]
男対男(1960年)
トイレット部長(1961年)
黒い画集 寒流(1961年) - 沖野一郎
如何なる星の下に(1962年)
妖星ゴラス(1962年) - 田沢博士[1]
忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年) - 土屋主税
太平洋の翼(1963年) - 三原少佐[34]
青島要塞爆撃命令(1963年) - 大杉少佐[34]
乾いた花(1964年)
背後の人 (1965年)
大根と人参(1965年)
けものみち(1965年) - 小滝章二郎
昭和残侠伝シリーズ
昭和残侠伝(1965年) -風間重吉
昭和残侠伝 唐獅子牡丹(1966年) - 畑中圭吾
昭和残侠伝 一匹狼(1966年) -桂木竜三
昭和残侠伝 血染めの唐獅子(1967年) -風間重吉
昭和残侠伝 唐獅子仁義(1969年) -風間重吉
昭和残侠伝 人斬り唐獅子(1969年) -風間重吉
昭和残侠伝 死んで貰います(1970年) -風間重吉
昭和残侠伝 吼えろ唐獅子(1971年) -風間重吉
昭和残侠伝 破れ傘(1972年) -風間重吉
男度胸で勝負する(1966年)
燃える雲(1967年)
陸軍諜報33(1968年) - スハルト・ダナン
人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊(1968年) - 片山少佐