その後、池禅尼は長寛2年(1164年)頃に61歳で死去したと言われているが、正確な没年と享年は不明である。
頼朝は池禅尼の恩を忘れず、伊豆で挙兵した後もその息子である頼盛を優遇し、平家滅亡後も頼盛の一族(池氏)は朝廷堂上人および鎌倉幕府御家人として存続した。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 『東寺百合文書』の「安嘉門院庁資忠注進抄」[2]に藤原宗子の名があり、その割注に「宗兼女 忠盛室 頼盛母」と記されている。
^ 『愚管抄』には北条時政の後妻である牧の方の父、大舎人允宗親は頼盛の長年の家人であり、頼盛から駿河国・大岡牧の管理を任されていたと記されている。『尊卑分脈』には宗子の弟に宗親という名が見られ、両者は同一人物の可能性がある。したがって時政による頼朝の監視・保護は、池禅尼・頼盛の意向によるという指摘もある[5]。ただし時政と牧の方の婚姻時期を明確に記す史料はなく、平治の乱の時点で池禅尼・頼盛と時政がつながっていたかは定かでない。牧の方が乱の前年(1158年)、時政に15歳で嫁いだと仮定すると、文治5年(1189年)生まれの政範は牧の方が46歳で産んだことになり、やや無理が生じる。
出典^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 88頁。
^ 『鎌倉遺文』3097
^ a b 『愚管抄』
^ 元木泰雄『保元・平治の乱を読み直す』
^ 杉橋隆夫「牧の方の出身と政治的位置─池禅尼と頼朝と─」『古代・中世の政治と文化』、上横手雅敬監修、思文閣出版、1994年
関連作品
テレビドラマ
『新・平家物語』(1972年、NHK大河ドラマ 演:水谷八重子 (初代))
『平清盛』(1992年、TBS、演:草笛光子)
『義経』(2005年、NHK大河ドラマ、演:南風洋子)
『平清盛』(2012年、NHK大河ドラマ、演:和久井映見)
関連項目
池禅尼 (小惑星) - メインベルトに位置する小惑星。池禅尼の名に由来する。同名の小惑星族の代表。
誓願寺 - 境内に池禅尼が頼朝の命乞いをした「池殿屋敷」があったと伝えられている。