池田秀一
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事務所東京俳優生活協同組合[8]
配偶者戸田恵子[3][9]離婚
玉川砂記子
公式サイト池田 秀一 - 俳協
公称サイズ(時期不明)[6]
身長 / 体重162 cm / 60 kg

声優活動
活動期間1970年代 -
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
俳優活動
活動期間1958年[10] -
ジャンルテレビドラマ映画舞台
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

池田 秀一(いけだ しゅういち、1949年昭和24年〉12月2日[9][11][12][13] - )は、日本声優俳優ナレーター[7]東京都中野区野方出身[4][5]東京俳優生活協同組合所属[8]

元妻は女優の戸田恵子[3][9]。現在の妻は声優の玉川砂記子
来歴

中野区立第十一中学校(現:中野区立緑野中学校)[5]東海大学付属高輪台高等学校卒業[14]日本大学芸術学部映画学科中退[2][3][15][注 1]

以前はエヌ・エー・シー、加藤企画に所属していた[8]
生い立ち

2男1女の次男として生まれる[5]

小学校に入学後、両親が離婚して兄、妹と共に母のもとで暮らす[2][9][11]
キャリア
子役・俳優として

芸能界に入ったきっかけは、当初は遊び半分のようなものであり、小学3年生の時に[11]児童劇団に入っている友人が近所におり、「今度その劇団で募集しているから君も受けてみない?」と誘われて行ってみたところ受かったという[10]。当初は演じることに興味はあったが、将来的に役者になりたいと思っておらず、映画を見てチャンバラごっこをして遊ぶことの延長のようなの感覚だったという[10][16]劇団こまどりに入団し[8]1958年(昭和33年)から子役として活動。小学3年生の時にガヤで初めてテレビに出演[10]。当時は「長屋で子供が泣いている」というシーンのために呼ばれて、何が悲しいのかわからず、全然泣けなかった[10]。それでディレクターが「どうしたか」、「泣けないか。じゃあ、泣かなくていいや。横で遊んでいて」と言われて、あっさりシーンを変えてしまったという[10]

中学2年生の時にNHKテレビドラマ次郎物語』の主役を務め、その頃から本格的に「役者をやってみたい」と思い始めるようになり、演技が高く評価されて「天才子役」として名を成す[16]鈴置洋孝は『機動戦士ガンダム』で初共演する際、『次郎物語』の池田、『巨人の星』の古谷徹との共演に感激したという。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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