池田氏
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さらに1610年(慶長15年)には、輝政の三男忠雄淡路一国6万3千石が与えられ洲本藩主となる。1613年(慶長18年)、輝政が没すると、播磨の遺領は長男の利隆が相続し、10万石分だけ弟の忠継に分与された。これにより忠継の領国は備前岡山藩38万石となった。他に池田長吉(輝政の弟)は鳥取6万石を領した。

利隆の没後、嫡男光政は幼かったことから播磨姫路藩42万石から因幡伯耆二か国の32万石に移封となり鳥取藩主となった。長吉の長男・長幸は鳥取から備中松山へ移された(長常のとき改易、長信が井原1000石の旗本となる)。

備前は忠継の没後、弟の忠雄が家督を継ぎ岡山31万5200石(分与と赤穂藩の2度の改易で減封)を領し、淡路一国6万3千石は収公された。しかし忠雄の没後、嫡男光仲が幼少であったことから鳥取藩の光政と入れ替えられた。以後、光政系が岡山藩、光仲系が鳥取藩を相続した。

幕末の岡山藩主池田茂政は「尊王翼覇」を唱えて朝廷、幕府、長州藩の間を取り持つ国事周旋に奔走していたが、茂政の実兄徳川慶喜が将軍に就任すると討幕に踏み切れず、支藩の鴨方藩主章政を藩主に代えて征東軍に参加した[3]。また鳥取藩も慶喜の弟池田慶徳を養子に入れていた関係で藩論の統一に苦労したが戊辰戦争では官軍に属して明治維新を迎えた[3]
明治以降因州池田侯爵家の別荘だった仁風閣鳥取県鳥取市)。明治40年に竣工したフランスルネサンス様式を基調とした白亜の洋館。ゴシック様式の八角尖塔は階段室になっている[4]

明治2年(1869年)には戊辰戦争の戦功により鳥取藩には3万石の永世禄、岡山藩には2万石と3年間の年限禄1万石の賞典禄がそれぞれ下賜された[5]

岡山・鳥取両池田家、4つの支藩(備中生坂藩、備中鴨方藩、因幡鹿奴藩、因幡若桜藩)の池田家6家は、版籍奉還でそれぞれの藩の藩知事および華族となったのを経て廃藩置県まで藩知事を務めた[6][7]。また旧交代寄合だったが維新立藩播磨国福本藩主となった福本池田家も版籍奉還で福本藩知事になったが、廃藩置県前に本藩鳥取藩と合併して廃藩している[8][7]。3000石の一般旗本の池田頼誠も明治初年に岡山鳥取両池田家の助力を得て諸侯昇格運動をしていたが、不許可に終わっている[9]

1884年(明治17年)の華族令施行の際に岡山家と鳥取家は旧大藩知事[注釈 3]として侯爵[10]、生坂家、鴨方家、鹿奴家、若桜家は旧小藩知事[注釈 4]として子爵[11]、福本家は「一新後華族に列せられたる者」として男爵にそれぞれ叙せられた[12]。また後に岡山藩万石以上一門家臣だった天城池田家池田政和片桐池田家池田長準建部池田家池田博愛も勲功により男爵に叙せられた[13]。以上10家が池田氏から出た華族となった。このうち福本池田家は経済的事情から明治27年(1894年)に爵位を返上した。大正3年(1914年)に福本池田家の旧臣家の出である陸軍中将藤井茂太らが福本池田家の経済力は復したとして再叙爵運動をやっているが却下されている[14]

昭和前期に池田宗家の邸宅は東京市芝区高輪南町[15]、因州池田家の邸宅は東京市渋谷区原宿[16]、生坂池田家の邸宅は東京市渋谷区千駄ヶ谷[17]、鹿奴池田家の邸宅は東京市渋谷区原宿[18]、天城池田家の邸宅は東京市中野区氷川町にあった[19]

池田宗家は、隆政の代である2012年に1度断絶したが、2023年3月に日本カバヤ・オハヨーホールディングス社長の野津基弘が、夫婦で隆政夫人の池田厚子と養子縁組した。因州池田家では、現当主の百合子が当代限りで絶家を表明している[20]
家紋

池田家の家紋の蝶は、恒興が信長から下されたものに由来し(平資盛の末裔を称する信長は木瓜紋以外に桓武平氏定紋揚羽蝶も大事にした)、それを変形させたものである。
池田氏一門

池田輝政の直系

善応院(輝政正室)系

宗家利隆流(輝政長男・岡山藩主)

政桓流(政喬長男・岡山藩家老

軌隆流(綱政九男・岡山藩士)

輝録流(光政三男・生坂藩主) ※明治維新後、子爵

恒元流(利隆次男・山崎藩主)※無嗣断絶


良正院(輝政継室)系

別家忠継流(輝政次男・鳥取藩主)

仲澄流(光仲次男・鹿奴藩主) ※明治維新後、子爵

清定流(光仲四男・若桜藩主)

輝澄流(輝政四男・福本池田家旗本) ※明治維新後、男爵

政親流(政武次男・吉富池田家・旗本)

政済流(輝澄七男・屋形池田家・旗本)

武憲流(輝澄八男・岡山藩士)

輝興流(輝政六男・赤穂藩主)※改易


庶子系

政虎流(輝政七男・岡山藩士)

政昭流(直長次男・岡山藩士)

政広流(政虎次男・栗池池田家・鳥取藩士)

政長流(政虎三男・岡山藩士)

利政流(輝政九男・鴨方藩主) ※明治維新後、子爵

知利流(利政次男・下池池田家・鳥取藩士)



傍系

由之流(元助長男・天城池田家・岡山藩家老) ※明治維新後、男爵

玄寅流(由之次男・徳島藩蜂須賀家家老)


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