江東区
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この臨海エリアには2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の会場も集中している。東京ビッグサイトを筆頭に有明コロシアム有明アリーナ有明ガーデンシアターなどの大型イベント施設も多く、年間を通じて多くの来場者があり、ホテルなどの宿泊施設や商業施設も充実してきている。

豊洲地区や夢の島地区には子供向け施設が充実し、近年は都心からの近さゆえ都心回帰の影響で大型タワーマンション建設が相次ぎ人口が増加しているが、区による少子化に伴った小学校の統廃合が行われた後の人口増加のため、統廃合が行われた小学校では生徒の受け入れが困難な状況である。同様に、保育園も不足する事態に陥り、待機児童が増加している。2018年には中央区築地から東京都中央卸売市場豊洲市場)が移転してきた(「築地市場移転問題」も参照)。
人口

世帯数:28万1464世帯

人口総数:53万932人

住民基本台帳:53万932人

男:26万1130人

女:26万9082人


外国人登録数:3万1822人

男:1万5371人

女:1万6451人

※2022年(令和4年)8月1日現在[5]


江東区と全国の年齢別人口分布(2005年)江東区の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 江東区
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性

現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。

江東区(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より



人口

2020年10月に実施された国勢調査によれば、江東区の夜間人口(居住者)は520,430人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は633,813人での1.209倍の人口になる[6]
地理
地勢

中央区港区江戸川区墨田区品川区大田区に接しており、南は東京湾に面している[7]。また、東京都の東部低地帯に属している[8]。大正時代から1970年代にかけて工業用地下水の汲み上げや天然ガス採取のために地盤沈下し、もっとも沈下したところである南砂2丁目では4.5m沈下した。地下水の汲み上げ規制や天然ガス採取の停止を実施し、1970年ごろには地盤沈下は止まった。しかし、2000年代になっても区の大部分がゼロメートル地帯、または海面より低い海抜マイナス地帯となっている[9]。運河と橋が多く、区では「水彩都市」と呼んでいる[10]道路水路が連なって作られており、住宅地のそばを船が行き交うことも多い[11]。区内には、東京都から「副都心」に指定されている「錦糸町・亀戸副都心」と「臨海副都心」とがある[12]

臨海副都心は品川区港区にも跨っているが、実際には江東区が大部分を占めている[13]。また、バブル期以降に急速に開発が進められた新興開発地域でもあり、街の景観は近代的である。錦糸町・亀戸副都心のほうは昔からあった大繁華街で、古くから下町として栄えた。1990年代後半から、東京の新スポットとしても急速に開けており、下町情緒と近代的な再開発地域の同居する街並みへと変貌した。臨海副都心部には埋立地が多く、ゴミ埋立て「東京ゴミ戦争」で有名な夢の島青海有明などは観光地区としても賑わっている。また、臨海部にある湾岸地域は港区江戸川区と海岸線を連ねてつながっており、台場東京ディズニーリゾートへの交通の便が良い。なお、東日本大震災の際に、一部液状化した地区もあり、団地が浮き上がったり、道路など地面が沈み込んだ場所もあった[14]

外周には荒川(荒川放水路)と隅田川が、江東内部河川として旧中川小名木川横十間川北十間川大横川仙台堀川、平久川、竪川、大島川西支川(運河)、大横川南支川(運河)、越中島川が流れている[15]

面積は43.01km2である[7]
自然環境

区の臨海方面にあるかつてのゴミ埋立地である夢の島一帯は、夢の島公園などの大規模な公園が作られ、市街開発にあたって並木や草木が大量に植えられたため、東京23区内とは思えないほどの緑の多い地域となっている[16]豊洲臨海副都心方面にも大型公園が整備されており、ゆとりのある街並みが形成されている。また、大島木場でも工場跡地が再開発され、公園や緑地が造られた。区内には海抜ゼロメートル地帯があるため、避難場所として使えるよう盛り土された公園が多い。一方、亀戸深川南砂などの古くからの住宅街には小規模な児童公園が点在しており、運河を埋めて造成された緑道がある。
歴史
区名の由来

区名は、隅田川の東に位置するという地理的な意味から、「辰巳区」、「東区」、「永代区」などの候補の中から選ばれた。

1947年(昭和22年)2月21日城東区会で、2月25日に深川区会で議決された。「江東」の区名は、隅田川の東に位置するという地理的な意味に加え、「江」は深川、「東」は城東の意味も含んでいる。

しかし、江東の地名はこの時初めて使われたものではない。すでに古くは江戸時代から使用されており、当時の江東という地域は、本所地区または深川地区を指す意味と、広く隅田川の東部を指す意味があった。
区の沿革


1878年明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法が施行。東京府内が15区6郡に区画分けされ、深川区と南葛飾郡が発足。

1889年(明治22年)5月1日 - 市制町村制施行により、次の市区町村が発足。

東京市が発足。深川区は以後、東京市に属する。

南葛飾郡の中に、亀戸村・大島村・砂村などが(町村制に基づく村として)発足。


1894年(明治27年)12月1日 - 総武本線が両国まで開業し、それに伴い亀戸駅が開業。

1900年(明治33年)7月19日 - 亀戸村・大島村が町制施行。

1904年(明治37年)4月5日 - 東武鉄道の亀戸駅が開業(後の東武亀戸線)。

1921年大正10年)7月1日 - 砂村が町制施行。

1928年昭和3年)4月15日 - 東武亀戸線の亀戸水神駅が開業。

1932年(昭和7年)10月1日 - 亀戸町・大島町・砂町が東京市に編入、3町の区域をもって城東区が発足。

1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行により、東京府と東京市は廃止。東京都深川区、東京都城東区となる。


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