江戸川区
[Wikipedia|▼Menu]
人口は増加傾向にあり、昭和55年(1980年)に50万人、平成8年(1996年)に60万人を超え 、令和元年(2019年)には70万人を超えた。2020年1月時点で夜間人口(居住者)は700,079人[17]。内訳は日本人が662,973人、外国人は37,054人であり、外国人数は過去最高を記録し外国人の転入が人口増の要因の一つとなっている[要出典]。2005年のデータでは夜間人口(居住者)は653,805人。区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は534,942人で、夜間人口の0.818倍になる。通勤通学者数で見ると区内から区外へ出る通勤通学者は198,502人、区外から区内へ入る通勤通学者は79,639人と、区外への通勤通学者の方が多い(東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行142,143ページ)。国勢調査では年齢不詳の者が東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に誤差は生じる [1][リンク切れ])。

江戸川区は在日インド人のコミュニティがあることで知られている。特に西葛西地区への集住が顕著である。彼らの多くはIT技術者である。2019年4月22日に開票された江戸川区議会議員選挙(第19回統一地方選挙)では、インド共和国出身のよぎことプラニク・ヨゲンドラが初当選した[18]


江戸川区と全国の年齢別人口分布(2005年)江戸川区の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 江戸川区
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。

江戸川区(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より



地理
地勢葛西海浜公園 西なぎさ

江戸川区の面積は49.86 km2で、23区内では4番目の広さである。区民1人当たりの公園面積は23区内で1位である。

区の西部(荒川両岸地域)は海抜ゼロメートル地帯(あるいは海抜マイナス地帯)で、最も低いところでは東京湾の満潮時の海面より2mほど低い場所もある。区の西部を流れる荒川放水路は人工河川で、治水目的で大正時代に建設された。正式名は荒川放水路である。区の東部(江戸川沿い)は比較的海抜が高く、新中川以東且つ京葉道路以北は海抜1.5mから3mほどで、特に小岩地域は比較的古くからの陸地であり、貝塚も見つかっている。区の東端には江戸川が流れ、千葉県と接している。区の南部にある清新町臨海町葛西沖開発事業で作られた埋立地で、臨海町南部には葛西臨海公園葛西臨海水族園があり、南端で東京湾に面している。

土地が低いうえに三方を大河と海に囲まれているため、ひとたび大規模水害が発生すると浸水が長期化することが懸念され、江東五区(江戸川区と江東区墨田区葛飾区足立区)で大規模水害や広域避難の協議会を設けているが、区外での避難先確保は十分ではない[2]

主な河川:荒川中川)、江戸川旧江戸川

気候

江戸川区のアメダス観測所は「江戸川臨海」である。23区内のアメダス観測所はこのほかには、東京(千代田区)、世田谷(世田谷区)、練馬(練馬区)、羽田(大田区)に設置されている。都心部と比べると、の影響でいくらかヒートアイランド現象の影響を受けにくい位置にある。

葛西臨海公園(江戸川臨海地域気象観測所)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)20.1
(68.2)24.1
(75.4)25.3
(77.5)26.2
(79.2)31.3
(88.3)34.3
(93.7)38.0
(100.4)37.8
(100)35.1
(95.2)32.0
(89.6)25.8
(78.4)24.4
(75.9)38.0
(100.4)
平均最高気温 °C (°F)9.8
(49.6)10.5
(50.9)13.4
(56.1)18.0
(64.4)22.2
(72)25.0
(77)28.6
(83.5)30.3
(86.5)27.0
(80.6)21.9
(71.4)17.0
(62.6)12.2
(54)19.7
(67.5)
日平均気温 °C (°F)6.0
(42.8)6.5
(43.7)9.4
(48.9)14.0
(57.2)18.4
(65.1)21.5
(70.7)25.1
(77.2)26.7
(80.1)23.6
(74.5)18.4
(65.1)13.3
(55.9)8.4
(47.1)15.9
(60.6)
平均最低気温 °C (°F)2.4
(36.3)2.8
(37)5.6
(42.1)10.3
(50.5)15.1
(59.2)18.8
(65.8)22.6
(72.7)24.2
(75.6)20.9
(69.6)15.5
(59.9)9.9
(49.8)4.9
(40.8)12.7
(54.9)
最低気温記録 °C (°F)?3.7
(25.3)?3.8
(25.2)?4.1
(24.6)0.7
(33.3)7.1
(44.8)11.5
(52.7)14.7
(58.5)17.0
(62.6)12.3
(54.1)6.3
(43.3)0.5
(32.9)?2.9
(26.8)?4.1
(24.6)
降水量 mm (inch)50.1
(1.972)50.9
(2.004)103.0
(4.055)111.8
(4.402)122.5
(4.823)150.3
(5.917)129.1
(5.083)108.0
(4.252)195.7
(7.705)205.7
(8.098)90.5
(3.563)53.3
(2.098)1,364
(53.701)
平均降水日数 (?1.0 mm)4.95.49.59.710.111.710.17.411.010.57.95.5103.6
出典1:平年値(年・月ごとの値)
出典2:観測史上1?10位の値

歴史
古代

江戸川区域に関する初見史料は、奈良時代正倉院文書にある養老5年の下総国葛飾郡戸籍に記された「甲和(こうわ)里」という地名である。これは現在の江戸川区小岩地区に当たるとされ、約50戸ほどの郷里であったとある。かつては現在と違い人口も非常に少なく、川、沼、池の錯綜する広大な湿地帯で、現在の区北部以外はほとんど居住者のいない場所であったと考えられている。
中世

中世には、鎌倉時代に入るころ、下総国の有力な豪族として勢力を誇っていた千葉氏の支配下として、区内の地区名がいくつか散見される。特に篠崎(現在の篠崎町)は葛西氏の領する葛西御厨の中心地として栄えた。また今井(現在の瑞江付近)・長島(現在の東葛西)は太日川河口の湊として賑わった。

戦国時代後期には相模国戦国大名である後北条氏が進出。江戸衆と呼ばれる江戸城遠山氏を中心とした家臣団の支配下に入り、区内の一部が太田氏富永氏らの領地となっていた記録が残る。
近世

豊臣政権下、後北条氏は小田原征伐により戦国大名としては滅亡し、代わって徳川家康関東に国替えされた。江戸幕府成立後は江戸城から近いこともあって、現在の江戸川区域のほとんどは幕府の直轄領(御鷹場)となったが、江戸の範囲には含まれていなかった[19]。堀江町(現在の南葛西)の左近川河口付近には、江戸幕府の舟手奉行であった向井将監忠勝の屋敷、もしくは領地があったことに由来する「将監」という地名が残っている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:165 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef