江川太郎左衛門
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『江戸切絵図芝口西久保愛宕下之図』で「江川太郎左衛門鉄砲調練所」と示される位置は、新銭座の慶應義塾の目と鼻の先であり、1870年(明治3年)に屋敷の長屋三十間ほどの総二階を慶應義塾に貸し出したことがある[2]。これは「分塾」または「外塾」と呼ばれており、翌年には三田の島原藩中屋敷に移転している。福澤諭吉の夫人の実弟土岐謙之助が江川太郎左衛門の門弟であったことなども挙げられるが、実は江川家の江戸屋敷が幕府瓦解後、柏木忠俊の配慮で福沢諭吉に払い下げられて慶應義塾舎となり、正門は韮山に運んで今の表門となっている[3]。
脚注^ ⇒パンのはなし:パンの日って?
^ ⇒慶應義塾百年史年表
^ ⇒江川坦庵の知名度
関連項目
韮山代官所
三嶋暦師の館(安政の大地震で河合家が倒壊した際再建に協力)
江川英元(26代当主)
外部リンク
⇒重要文化財 江川邸
⇒伊豆韮山江川家文書データベース
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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