江川太郎左衛門
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日本で初めてパンを焼いた人物としても知られる[1]。かなりの人物であった。その嘉永安政の頃に、海防の為に尽力したことは誰も知っているだろう。この男は山の中で成長して、常に遊猟などをして筋骨を練り、明け暮れ武芸に余念なかった ? 勝海舟、海舟全集 第十巻
江川英敏
37代当主、1839年 - 1862年。英龍の三男。父の事業を継いで反射炉の完成、農兵隊の編成など行うが若くして病死。
江川英武
38代当主、1853年 - 1933年。号は春緑。英龍の五男。明治維新のときの当主。廃藩置県後は韮山県令となるが、まもなく岩倉使節団に随行、そのまま留学。その後は地域教育に尽くす。
江川英文
39代当主、1898年 - 1966年。英武の子。東京大学名誉教授で、法律学者。専門は国際私法。財団法人江川文庫を設立、江川家代々の資料を研究者に公開する。
江川英晴
40代当主、 - 1997年。英文の子。元東芝代表取締役副社長。半導体の技術者。
江川滉二
41代当主、1937年 - 2009年。英文の子。東京大学医科学研究所名誉教授。2004年より、日本免疫治療学研究会会長。
江川洋
42代当主、財団法人江川文庫代表理事。
屋敷

『江戸切絵図芝口西久保愛宕下之図』で「江川太郎左衛門鉄砲調練所」と示される位置は、新銭座の慶應義塾の目と鼻の先であり、1870年(明治3年)に屋敷の長屋三十間ほどの総二階を慶應義塾に貸し出したことがある[2]。これは「分塾」または「外塾」と呼ばれており、翌年には三田島原藩中屋敷に移転している。福澤諭吉の夫人の実弟土岐謙之助が江川太郎左衛門の門弟であったことなども挙げられるが、実は江川家の江戸屋敷が幕府瓦解後、柏木忠俊の配慮で福沢諭吉に払い下げられて慶應義塾舎となり、正門は韮山に運んで今の表門となっている[3]
脚注^パンのはなし:パンの日って?
^慶應義塾百年史年表
^江川坦庵の知名度

関連項目

韮山代官所

三嶋暦師の館安政の大地震で河合家が倒壊した際再建に協力)

江川英元(26代当主)

外部リンク

重要文化財 江川邸

伊豆韮山江川家文書データベース


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