小学校で私が直面した問題は吃音であった。思うようにコミュニケーションができない。これはちょっとした苦痛だった。これについては母が自責の念にかられた、ちょっとした物語がある。1927年8月、私は2歳5か月くらいで全く覚えていないが、淡路島の南に位置する沼島という小さな島に滞在して夏の海辺を楽しんでいた。ところが滞在した家に5歳くらいの悪さをする女の子がおり、たまたま縁側にいた私を後ろから突き落としたというのである。
母が急いで私を抱き上げたが声が出ず、しばらくしてやっと口をきいたまではよいが、発音がひどく不自由になり、それがすぐには治らなかったという。腹式呼吸とか、様々な治療を試みたが効果は乏しかった。しかし、大きくなるにつれて、吃音は次第に姿を消してくれた。下手な英語では不思議にほとんど不自由はなかった。
私は早くから、自分は自然を相手とするサイエンスの研究に適した人間ではないかと思っていたが、それは人とあまり話さなくてもよいという条件にかなっていたからである。従って私の場合、吃音はノーベル物理学賞の受賞には、ひょっとするとプラスに働いたのかもしれない。
1994年夏のリンダウ・ノーベル賞受賞者会議で、江崎は「ノーベル賞を取るために、してはいけない5か条」のリストを提案している。
原文:Esaki's “five don’ts” rules
Don’t allow yourself to be trapped by your past experiences.
Don’t allow yourself to become overly attached to any one authority in your field ? the great professor, perhaps.
Don’t hold on to what you don’t need.
Don’t avoid confrontation.
Don’t forget your spirit of childhood curiosity.
日本語訳
今までの行き掛かりにとらわれてはいけない。 呪縛やしがらみに捉われると、洞察力は鈍り、創造力は発揮できない。
大先生を尊敬するのはよいが、のめり込んではいけない。
情報の大波の中で、自分に無用なものまでも抱え込んではいけない。
自分の主義を貫くため、戦う事を避けてはいけない。
いつまでも初々しい感性と飽くなき好奇心を失ってはいけない。
2000年、教育改革国民会議委員として、以下の発言をする[6]
人間の能力は二つの要因によって定まる。一つは持って生まれた“天性”、即ち遺伝情報であり、もう一つは環境による“育成”、即ち遺伝外情報取得である。一般的に、生物学者や優生学者は“天性”を重視し、社会学者や社会主義者は“育成”を重んずる傾向にあるが、“天性を見出し、育成に努める”のが教育の基本理念である。われわれの容姿や容貌、才能や素質、ある病気にかかる傾向が強いといった各人の特徴はすべてゲノム、遺伝情報としてDNAの中に刻み込まれており、この持って生まれたゲノムは宿命とでも言おうか、決して変えられないのだということ、勿論、平等ではないことを生徒、父母、教師すべて認めなければならない。“天性”を見出すとは、言わば、自分のゲノム解読なのであるが、先生の講話を聞き、級友達と交流する教育環境の中で、知性、感性の受ける様々な刺激が自己発見に結びつく。このように、先ず、自分の“天性”の発見に努め、次に、それが個性的な光彩を放つよう“天性”を最大限生かす“育成”を図るのが教育の目標である。このような教育が実行されれば、国民それぞれが生まれ持つ能力は最大限に発揮されることになり、我が国の社会の活力は限りなく増大することは明らかであろう。
略歴
1925年 - 建築技師である江崎壮一郎の長男として、大阪府[1]中河内郡高井田村(現在の東大阪市)に生まれ、京都市で育つ。
京都市立第四錦林尋常小学校から、京都府立京都第一中学校の入試に失敗し[注 2]、兵庫県師範学校御影附属小学校高等科を経て同志社中学校に進む。中学校は四年修了で第三高等学校(いずれも旧制学校)に進み、1944年に東京帝国大学に入学。杉山報公会奨学生だった。
1947年
東京帝国大学理学部物理学科卒業。
株式会社川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、さらに富士通テン株式会社、現在の デンソーテン)に勤務。
1956年 - 東京通信工業株式会社(現在のソニー株式会社)に勤務。
1959年 - 東京大学から理学博士の学位を授与される。論文は「薄いp-n接合における新現象」[9]。
1960年
米国IBM トーマス・J・ワトソン研究所に勤務。
IBM主任研究員
1975年 - 日本学士院会員
1976年 - 全米科学アカデミー外国会員
1992年 - 筑波大学学長に就任。
2000年 - 教育改革国民会議座長、芝浦工業大学学長に就任。
2006年 - 横浜薬科大学学長に就任。
受賞歴
1959年 - 仁科記念賞、朝日賞
1960年 - 東レ科学技術賞
1961年 - モーリス・N・リーブマン記念賞(米IRE、後のIEEE)、スチュアート・バレンタイン・メダル(米フランクリン協会)
1965年 - 日本学士院賞
1973年 - ノーベル物理学賞
1985年 - ジェームス・C・マックグラディ新材料賞
1991年 - IEEE栄誉賞
1998年 - 日本国際賞[10]
勲章・栄典
1974年 - 文化勲章
1998年 - 勲一等旭日大綬章
社会的活動
日本学術振興会21世紀COEプログラムプログラム委員会委員長(平成18年度)
財団法人茨城県科学技術振興財団理事長
財団法人国際開発高等教育機構評議員
日本新事業支援機関協議会名誉会長
財団法人日本オペラ振興会顧問
財団法人山田科学振興財団理事
財団法人国際科学振興財団評議員
社団法人科学技術国際交流センター評議員
財団法人下中記念財団理事
財団法人社会経済生産性本部評議員
財団法人仁科記念財団理事
特定非営利活動法人日本自動車殿堂顧問
著書
単著
『トンネルの長い旅路』講談社、1974年11月。
『新・日本イソップ物語 一科学者の提言』日刊工業新聞社、1978年4月。
『アメリカと日本 ニューヨークで考える』読売新聞社、1980年6月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9784643534702。
『日本とアメリカ 甲南大学創立30周年記念講演会・講演録』甲南大学、1983年3月。
『創造の風土 ニューヨークから』読売新聞社、1984年1月。ISBN 9784643541502。
『アメリカと日本』三笠書房〈知的生きかた文庫〉、1987年7月。ISBN 9784837901723。
『創造の風土』三笠書房〈知的生きかた文庫〉、1987年11月。