男性が両手と片足を上げたポーズをしている絵柄は、同社が最初に発売したキャラメル菓子の「グリコ」のパッケージからとったもので、企業のシンボルにもなっており、「ゴールインマーク」と呼ばれる(一般には「グリコポーズ」と呼ばれる。グリコ (菓子)#マークを参照)。このマークは「グリコ」以外の当社及び子会社が手掛ける全商品のパッケージにもglicoロゴとは別の箇所に小さく表示されている[4]。訪日外国人にとっては観光地、訪問先の大阪を象徴するもののひとつであり、折からのSNS上の写真の公開という流れの中で、海外でもビジネスを行う同社にとって、単なる屋外広告をはるかに超える広告物として、多大な効果を挙げている。 創業者の江崎利一が佐賀県出身ということもあってか、「サガ・ライトファンタジー」(毎年11月から1月中旬まで開催)の期間中、JR佐賀駅南口に道頓堀と同様のネオン看板が設置される。但し、道頓堀の物よりもはるかに小さく、バルーンの世界大会「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」の開催地に因んで背景にはバルーンが描かれているという相違点がある。また東京でも、渋谷スクランブル交差点の北東にある三千里薬局にも街頭ビジョン「グリコビジョン」(赤い壁面が目印)があり、オリジナルCMを放映している[5]。 UCC上島珈琲や伊藤園と同じく宝塚歌劇団のスポンサーでもある(宝塚大劇場内に広告を設置しており、また宝塚歌劇の公演プログラムにも広告が掲載されている。以前は東京宝塚劇場内にも広告が設置されていた)。他には劇団四季のミュージカルにも協賛。Jリーグの清水エスパルスのスポンサーも1993年のリーグ開幕当時から務めている。 2010年(平成22年)12月から2011年(平成23年)2月までの3か月にわたり、日本全国47都道府県をワゴンで縦断するキャラバン『日本縦断グリコワゴン』が展開された。 テレビCMの最後に流れるグリコのサウンドロゴは、グリコ乳業のCMと共通であり、これは1992年の現行ロゴタイプ導入時より使用されている。当初のロゴ映像は全画面の白バックでglicoロゴの筆記アニメーションのみが表示されていたが、1996年頃に同ロゴ上部に「おいしさと健康」のスローガンが追加され、2002年頃に全画面の白バックをやめてCM映像の右下隅への表示に変更されたが、2021年頃に全画面の白バックが徐々に復活した。また、サウンドロゴは15秒用と30秒用で異なり、30秒用はやや間延びしたものになっている。創業100周年を迎えた2022年2月11日以降は、ロゴ上部のスローガンを「すこやかな毎日、ゆたかな人生」に変更した[1]。テレビ・ラジオの提供番組については「#スポンサー番組」を、CMタレントについては「#CMイメージキャラクター」を、イベント協賛については「#主な協賛」を参照
その他
阪神甲子園球場
2005年から2016年までは阪神甲子園球場のバックネットフェンスの回転式看板に広告を入れていた。主にグリコの主力製品の広告が出されていた。また、バックスクリーン付近にも「グリコ」の広告を出していた[6]。
沿革創業者江崎利一
1919年(大正8年) - 創業者である江崎利一がカキの煮汁からグリコーゲンを採取し、それをキャラメルの中に入れた栄養菓子「グリコ」を製作。
1921年(大正10年) - 江崎利一が大阪市西区にて合名会社江崎商店を設立。
1922年(大正11年)2月11日 - 大阪の三越百貨店で「グリコ」を発売。この日を「江崎グリコ創立記念日」と制定。
その後「グリコ」は「ひとつぶ300メートル」のキャッチコピーをつけられ、利一の「子供の二大楽しみ、食べることと遊ぶことを同時に満たす」の考えにより、おまけを同梱したことにより、大ヒット商品となった。
1927年(昭和2年) - おまけ付きグリコ発売。日本最初の食玩。
1929年(昭和4年) - 株式会社江崎に組織変更。
1933年(昭和8年) - 酵母菓子「ビスコ」発売。日本で最初の豆文広告が登場。
1934年(昭和9年)
財団法人母子健康協会を設立。
2月 - (初代)グリコ株式会社に商号変更。
1935年(昭和10年) - 大阪・ミナミ戎橋に巨大ネオン広告(初代、高さ33mのネオン塔)登場。
1943年(昭和18年)
鉄材供出のため、大阪・戎橋の巨大ネオン広告を撤去。
2月 - (初代)江崎グリコ株式会社に商号変更。
1949年(昭和24年)12月 - (2代目)グリコ株式会社に商号変更。
1955年(昭和30年)
「アーモンドグリコ」を発売。
大阪・戎橋に巨大ネオン広告(2代目、砲弾型のデザインで下部に特設ステージがある)を設置。
4月 - テレビ映画『せむしの子馬』(ソビエト連邦で製作された映画。この年に放送を開始したラジオ東京テレビ(KRテレビ、現:TBSテレビ)で放映された)で初の番組提供。
1956年(昭和31年) - グループ企業としてグリコ栄養食品、グリコ協同乳業(現在:グリコ乳業)設立。
1958年(昭和33年)
「アーモンドチョコレート」を発売。
1月 - (2代目)江崎グリコ株式会社に商号変更。
グリコガムの広告(1960年)
1960年(昭和35年) - 「ワンタッチカレー
1962年(昭和37年) - 本社研究所を開設。
1963年(昭和38年)
大阪・戎橋に巨大ネオン広告(3代目、中心のノズルから12トンの水が噴き出す噴水ネオン塔)を設置。
10月20日 - 夜8時、フジテレビ系で当社一社提供アニメ『鉄人28号』放映開始。これに合わせ、鉄人28号関連商品も多数発売される。
「グリココーン(現在:ジャイアントコーン)」、「バタープリッツ」を発売。
1966年(昭和41年) - 「ポッキー」を発売。
1970年(昭和45年) - タイ王国に現地法人「タイグリコ」を設立。
1972年(昭和47年)
3月 - 創立50周年記念事業の一環として「江崎記念館」を設立。
10月 - 毎日放送系テレビ番組「がっちり買いまショウ」の2代目提供スポンサーとなる。
大阪・戎橋に巨大ネオン広告(4代目、陸上競技場のトラック部分が点滅するネオン塔)を設置(左上に「一粒300メートル」の文字に青色の背景のもの)。1992年のロゴ変更までのデザインは、このネオン塔の設置が最後となった。
1978年(昭和53年) - 「パナップ」を発売。
1980年(昭和55年)2月2日 - 創業者の江崎利一が逝去。死因は悪性リンパ腫。
1982年(昭和57年) - ヨーロッパ現地法人「ジェネラルビスケット・グリコ・フランス」設立。「MIKADO」発売。
1984年(昭和59年)
3月 - グリコ・森永事件が発生。社長が誘拐されただけでなく、同事件により多大な損失を出す。半年にわたり商品が店頭から消え、テレビCM(番組提供含む)も自粛。
10月 - グリコ製品の包装システムが現在のものに変更される。
1985年(昭和60年) - セブンティーンアイスの自動販売機による展開を開始。