ながせ まさとし
永瀬 正敏
2022年 第35回東京国際映画祭にて
生年月日 (1966-07-15) 1966年7月15日(57歳)
出生地 日本・宮崎県都城市
身長172 cm
血液型B型
職業俳優・写真家
ジャンル映画・テレビドラマ
活動期間1983年 -
配偶者小泉今日子 (1995年-2004年)
事務所有限会社ロケットパンチ
公式サイト ⇒http://www.rocket-punch.co.jp/
主な作品
映画
『ションベン・ライダー』
『息子』
『誘拐』
『隠し剣 鬼の爪』
『姑獲鳥の夏』
『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』
『あん』
『光』
『カツベン!』テレビドラマ
『時にはいっしょに』
『ママはアイドル』
『卒業』
『私立探偵 濱マイク』
『オリバーな犬、 (Gosh!!) このヤロウ』外国映画
『ミステリー・トレイン』
『コールドフィーバー』
『KANO 1931海の向こうの甲子園』
『パターソン』
受賞
日本アカデミー賞
最優秀助演男優賞
1992年『息子』
新人俳優賞
1992年『息子』
ブルーリボン賞
助演男優賞
1992年『息子』
その他の賞
毎日映画コンクール
男優主演賞
1992年『息子』キネマ旬報賞
助演男優賞
1992年『息子』高崎映画祭
最優秀主演男優賞
1992年『死んでもいい』ヨコハマ映画祭
主演男優賞
2016年『あん』
助演男優賞
2008年『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』日本映画批評家大賞
主演男優賞
2011年『毎日かあさん』
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永瀬 正敏(ながせ まさとし、1966年7月15日 - )は、日本の俳優・写真家。有限会社ロケットパンチ所属。宮崎県都城市出身。 都城市立姫城中学校卒業。宮崎県立都城西高等学校に進学するも、1983年に上京。日本大学鶴ヶ丘高等学校に再入学したが、堀越高等学校に転学して卒業する。 小学生の頃は地元の小さな野球団で少年野球をしていた[1]。中学生時代はバンドを結成。この頃は特にザ・クラッシュやセックスピストルズなどパンクバンドにとても影響を受けており、中でもイギー・ポップやジョー・ストラマーは神様のように思っていた[2]。 1982年、高校生の頃、全国オーディションにて約15000人の中から選ばれ、相米慎二監督の映画『ションベン・ライダー』1983年2月11日(公開日)にデビュー[2][3]。撮影は1982年8月?9月。 1990年『ミステリー・トレイン』に出演。ジャームッシュ作品に出演した若手俳優として注目を浴びてからは映画中心に活躍する。 1991年、映画『息子』に出演。日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報・日刊スポーツ映画大賞で助演男優賞、毎日映画コンクール・報知映画賞で主演男優賞をそれぞれ受賞した。 1994年、『an・an』(5月6.13日No.290、マガジンハウス)で『アンアン読者が選ぶ好きな男』ランキング1位に選ばれた。 1994年から1996年に『私立探偵 濱マイク』シリーズの映画3本に出演。その後2002年からのテレビドラマ版にも出演した[4]。 2004年、『渇いた花?four by four equal one?』にて初めて自身の脚本・監督作をDVD化した。 2010年日本における口蹄疫の流行に際し、義援金300万円を寄付。生まれ故郷宮崎へメッセージと、希望をテーマにしたアート作品を発表[5]。公式HPに特設ギャラリーページ『for... ?HOPE art gallery』[6]を設置し、宮崎に「希望を」というテーマに賛同するアーティスト達の作品を展示した。 デビュー30年目となる2013年より撮り貯めた写真を一挙に掲載し、公式HPに特設ギャラリーページ『I meet you Project』を設置。自身が撮影した写真作品を多数公開した。2013年12月には写真展を地元宮崎で開催[7]。また2014年1月までの間にLIVE、映画祭、新世紀映画『彌勒 MIROKU』(Film orchestra ver.)も宮崎で開催された[7][8]。 2013年8月.9月合併号から2015年8月.9月合併号まで『warp MAGAZINE JAPAN 2014年2月、デビュー以前から2013年までの軌跡を金原由佳による超ロングインタビュー、荒木経惟による撮り下ろし表紙&グラビア、関係者インタビュー、映画やTV・CMなど出演作データファイルを掲載した『アクターズ・ファイル 永瀬正敏』をキネマ旬報社より出版。イェール大学に映画史研究資料として蔵書されている。 2014年11月3日、宮崎県都城市のみやこんじょ大使に就任[9]。 2017年6月2日、愛媛県の伊予観光大使に就任[10][11]。
来歴
学生時代
芸能界に入る