永島 敏行(ながしま としゆき[1]、(1956年〈昭和31年〉10月21日 - )は、日本の俳優、実業家。本名同じ。血液型はO型。所属事務所はグランドスラム。 千葉県千葉市中央区今井出身。千葉市立高等学校を経て、専修大学文学部人文学科卒業。 父は当初競輪選手だったが、宿泊していた旅館の娘(永島の母)と結ばれて結婚。これを機に競輪選手を引退し、旅館を継ぐことになった(旅館は現在は廃業している)。永島家のルーツは和歌山県だという[2]。 中学校時代から親しみ、自らのチームを持つほど熱中している野球や、殺陣、さらには農作業など幅広い趣味を持つ。農林水産物に関するコンサルティングならびに講演などを行う「有限会社青空市場」の代表取締役でもある。 高校時代に野球部に所属し、専修大学進学後は準硬式野球部に入部した[3]経歴を買われて、1977年に映画『ドカベン』で俳優デビュー。2作目の『サード』が作品として高い評価を受けるのに伴い、主演を務めた永島にも注目が集まり、その年の国内の新人賞を多数獲得した。ちなみに上記2作品は、共に父親が永島に黙ってオーディションに応募したことで出演に至った[3]。1980年前後は主演格として活躍し、1981年には『遠雷』で都市化していく宇都宮を舞台に、時流に抗う農家の青年役を演じてブルーリボン賞主演男優賞を受賞[4]。 以降は、身軽なフットワークと安定した演技力で映画、テレビドラマ、舞台にて主に脇役として活動を続けている。 2004年公開の映画『透光の樹』では、クランクイン後に主演の萩原健一がスタッフや共演者との確執から映画を降板。急遽(きゅうきょ)永島が代役を務めるといったハプニングに見舞われるも、持ち前の落ち着いた演技で撮影を無事終了。大人の激しい純愛を描いたこの作品は国内外で一定の評価を受ける。 戦争映画にも多数出演しているが、何故か話の途中で戦死する役にキャスティングされることが多く、本人も雑誌の取材で「不思議なジンクス」と述べている。また、自衛官の役にこれまで3回もキャスティングされている。 1993年に秋田県平鹿郡十文字町(現在の横手市)で初めて米作りを体験。以降、十文字町や千葉県成田市で知人らとともに地元の農家から毎年米作りを教わる。俳優として活動する傍ら東京都中央区銀座などで「青空市場」を開催し、生産者と消費者の架け橋として精力的に活動。2005年2月には同名の有限会社を設立し代表取締役に就任。各地方自治体と提携して農畜産物および水産物の販売や人材育成を実施。活動の様子はテレビや雑誌など各メディアでたびたび取り上げられている。 食に関するNHK総合の情報番組『産地発!たべもの一直線』では司会を担当。 2013年には、秋田県立大学の客員教授に就任。「生物資源科学への招待」と題して農業の魅力を教える。
人物
略歴
俳優としての活動・評価
農業コンサルタントとしての活動
エピソード
作品に関するエピソード
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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