永山則夫
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^ 後に母親はこれを悔いている[10]
^ 長兄が交際していた女性との間にもうけたが、結婚できずに永山の親が引き取った[21]
^ 永山は不良少年の盗品からシャツ1着だけを手元に隠し、上京の際に着ていった[25]
^ 神奈川県高座郡座間町(現:座間市)でライフルを持った少年が警察官を射殺し、人質に自動車を運転させて渋谷まで逃走し、銃砲店に立てこもり警官隊と銃撃戦になった事件[28]
^ 牛乳配達をしながら大学受験準備中だった[29]。永山は上京時に、家を出た兄の中でただ一人資金援助をしたこの三兄を頼りにしていた[30]
^ 永山は、射殺事件で使った拳銃を窃盗する以前、この時を含めて3度基地に侵入している[35]
^ その後、1967年(昭和42年)4月28日には同家裁支部の審判で成年するまでの保護観察処分を受けたが[39]、その後は保護観察所への出頭を拒んで行方をくらました[40]
^ 出願に必要な出身中学の内申書が届かないことに業を煮やした永山は、中学3年生時の担任に血書で催促する手紙を送った[41]。依頼の方法を知らない永山が、時代劇で見たのをヒントに実行したものだった[41]
^ 石川は鑑定書において、永山の攻撃衝動は自らに向けられ、自殺の企図が繰り返されたと分析した[47]。石川は聞き取りで確認できただけで、事件までに19回の自殺の企図(着想および未遂)があったとしている[47]
^ このときまで、永山は前年も含めて横浜での仕事の時には映画館か深夜喫茶、そこを追われるとトラックの荷台やコンテナなどで夜を過ごしていた[42][49]。酒が飲めないことや恐喝の恐れから簡易宿所(ドヤ)は利用しなかった[49]
^ 盗難被害に遭った住民が横須賀警察署へ届け出た被害届によれば、永山が拳銃とともに盗んだ被害品が盗まれた日は10月8日ごろとされる[51]
^ ドイツ連邦共和国(西ドイツ)製の6連発ダブルアクション回転式拳銃(ナンバー:744597)[52]
^ 京都事件後(10月18日)に東京・京都の両警備員射殺事件が同一犯と断定され、広域指定された[55]。その後、11月5日には名古屋事件が同一犯と断定(翌6日に広域108号事件として追加指定)され[56]、11月13日には北海道の事件も同様に同一犯と断定・追加指定された[57]
^ 当時、同店の遅番のボーイとしてビートたけしが働いていた(永山は早番)ほか[60]、同店の客には村上春樹や、後に永山の足跡を追った映画『略称・連続射殺魔』(1969年)を撮影した足立正生映画監督)らがいた[61]
^ 少年法第42条前段:「検察官は、少年の被疑事件について捜査を遂げた結果、犯罪の嫌疑があるものと思料するときは、第四十五条第五号本文に規定する場合を除いて、これを家庭裁判所に送致しなければならない。」
^ 少年法第20条(第1項):「家庭裁判所は、死刑、懲役又は禁錮に当たる罪の事件について、調査の結果、その罪質及び情状に照らして刑事処分を相当と認めるときは、決定をもつて、これを管轄地方裁判所に対応する検察庁の検察官に送致しなければならない。」
^ ただし、堀川惠子は著書 (2013) において、長兄が詐欺罪で逮捕されたこと、次兄が複数の職を転々として42歳で死去したこと、永山の妹が離婚後に「心の病」により入院したという事実を挙げ、「兄弟のうち、母が住む板柳に戻った者は一人もいない」と指摘している[86]
^ 永山に対しては新井尚賢による鑑定が実施されていたが[99]、当時永山は荒んだ心理状態でまともな返答をせず、わずか8日の問診と検査で作成されていた[97]
^ 永山は石川による鑑定書を「自分の鑑定じゃないみたいだ」と述べて否定する挙に出たが[101]、処刑時まで裁判資料では唯一この鑑定書を手元に残して書き込みを入れたりしていた[102]
^ 坂本が東京拘置所に努めていた時期は被告人だった[104]
^ 1968年正月、次兄の家に男兄弟が集まったときに自身の立場が『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフに重なって感じられたという発言を、一審公判中の「石川鑑定」における聞き取り(1974年)で残している[106]
^ 加賀は後に入会拒否騒動について、「自分や秋山さんがしたこと(永山の入会推薦)は間違っているとは思えない。文筆家はどんな立場であろうと、文筆家として立派な作品を書いていれば認められるべきだ。そして自分はキリスト教徒だが、その教えに従えば我々は皆罪深い人間だから、罪がある人を『罪があるから』と言って差別することは間違っている。今回の文芸家協会の推薦拒否はあまりにも意外で、失望している」と述べている[112]
^ ただし、定款には倫理的面における入会資格の規定はなく、不許可の理由の1つとされた定款第10条は既会員についての規定である[113]
^ 協会理事会にて青山光二(入会委員長)・佐伯彰一など一部の理事が、「永山は殺人事件の刑事被告人であるため、入会させてはならない」と反対した結果だった[115]。青山は「自分には永山が2人いるような気がする。文学者としての永山は(入会には)問題ないが、殺人者としての永山はどうしても受け入れられない」と述べた[113]
^ その後、7月には石川逸子が退会を表明し、計5人が退会した[118]
^ なお三浦とその妻曽野綾子は入会賛成で、江藤淳は反対の立場からテレビで中上健次と討論した。
^ 永山への面会人は約2年ぶりで[111]、一般人の面会は5年ぶりだった[125]
^ 拘置所側の判断で抹消・削除されることへの対策とされる[128]
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