永山則夫連続射殺事件
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^ 「昭和43年押第1457号の2」[2]ペンシルベニア州の刃物会社が製造したもので、日本人は無許可で所持できず、国内では在日米海軍(厚木海軍飛行場・横須賀海軍施設など)で身分証明書を持つ人物のみに限定販売されていた[22]
^ ハンカチのうち1枚は「昭和43年押第1457号の1」、米国貨幣の一部は同押号の75[2]。東京事件の遺留品としてアメリカ製のハンカチ(蓄膿症患者のものと思われる鼻汁が付着)が発見され[23]、後に被疑者として逮捕された永山は蓄膿症を患ったことがあることも判明した[24]
^ 暴発を避けるため、拳銃の弾倉6か所のうち1発目には装填しなかった[2]
^ 男性Aの死因は左上頬骨弓部への盲貫射創による脳挫傷くも膜下腔出血などに基づく外傷性脳機能障害[2]
^ 当時の永山の所持金は2,500円程度で、映画館の料金が約300円だった[32]
^ 永山は被害者Bに2発撃ち込んでも手応えがなかったため、さらに2発撃ってBを射殺した[33]
^ 被害者Bは右前頭後部に貫通射創を、左側頭部・左側頬部・右下顎部にそれぞれ盲貫射創を負い、左側頭葉挫滅(左側頭部の盲貫射創による)および大脳などのくも膜下出血・脳挫傷により死亡した[2](致命傷は左こめかみの弾)[34]
^ 付近を警邏していた松原署・祇園石段下派出所の警官2人[35]。]
^ 事件後、殺害現場から約31 m離れた茂みの中からアメリカ製のジャックナイフが発見された[36]
^ a b 2001年(平成13年)11月5日に実施された住居表示により[42]、函館事件の現場住所(亀田郡七飯町字大川164番地)は「七飯町大川6丁目13番地3号」に変更されている[43]
^ 堀川 (2009) は「次兄は『死ぬなら熱海でもいいじゃないか』と言い、則夫はこれに失望した」と述べている[46]
^ この時、永山は「一緒に行って自首しよう」と説得する次兄を「兄貴でも容赦しないぞ」と脅しており、「北海道で必ず自殺する」と約束する形で交通費(5,000円)を受け取った。次兄は則夫の逮捕後に「則夫が帰った後で『警察に届けよう』と思ったが、気持ちの整理がつかず思い悩んでいるうちに函館・名古屋事件が起きた。そのため改めて自首するよう説得しようと思ったが、則夫は結局自分の家に一度も寄り付かなかった」と述べている[47]
^ 連絡船へ乗船する際、永山は乗船者名簿のカードに「青森市新町、中村清治(21歳)」と書き込んでいた[49]
^ 再び函館へ戻ろうと汽車に乗車した際、永山は持ち歩いていた社会科学学習辞典の余白に家族宛のメッセージとして「(前略)わたしは生きる せめて20歳のその日まで 罪を、最悪の罪を犯しても、せめて残された日々を満たされなかった金で生きると決めた(以下略)」と書き記していた[50]
^ 札幌でほとんど所持金を使い果たし、網走まで行く汽車賃がなかったため長万部駅までの切符を買い、下車した長万部駅の前で放置自転車を盗んで函館まで向かった[51]。途中、永山は人目を恐れて昼間は材木置き場などに隠れて休み、パンを買って水を飲みながら2,3日かけて函館へ着いたが、当時の所持金は100円足らずだった[52]
^ 七飯町は、中学3年生時の遠足で大沼公園に来た際にその名を覚えていた[53]
^ 函館駅から事件現場付近までのタクシー料金は当時500円ほどで、永山は狭い路地までタクシーを運転させて犯行におよんだ[54]
^ がま口は途中で中身の小銭を取り出してから捨てた[55]
^ 被害者Cの死因は貫通射創による右硬膜下出血[2]
^ 函館事件後に青函連絡船・青森駅発上野駅行きの鈍行列車を乗り継いで関東へ戻った[61]
^ 名古屋へ渡った理由について、永山は警察・検察の取り調べに対し「横浜の沖仲仕の仕事が減っていたので、仕事を探して名古屋港に行った」と答えたほか[62]、東京地裁 (1979) は「逮捕の危険を感じたため」と認定しているが[2]、永山本人は「石川鑑定」の際の尋問に対し「名古屋には当時、兄(三男)・姉(次女)・妹が住んでいたためだ。『もし名古屋で死んでも骨くらいは拾ってもらえるだろう』と思った」と述べている[63]。その一方で警察の供述調書では「名古屋には姉と妹がいた」と答えているが、この時には三兄には言及していなかった[64]
^ a b 大通りから左折して100 mほどの場所で、倉庫と空き地に挟まれた場所だった[68]
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