永劫回帰
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哲学史における意義

ニーチェは永劫回帰を直感的、文学的に語っているために、その体系的な意味合いは不明瞭である。

ただ、宗教的な意味合いにおいては、永劫回帰はキリスト教的な来世や東洋的な前世の否定であり、哲学史的な意味合いにおいては、弁証法の否定と解釈できる。ニーチェは永劫回帰を説き、弁証法を否定することによって、近代化そのもの、社会はよりよくなってゆくものだという西洋的な進歩史観そのものを覆そうとしたのである。弁証法は、近代哲学の完成者といわれるヘーゲルの基本概念であり、これを否定することは文字通り、近代哲学を覆そうとする試みであった。ニーチェの永劫回帰の思想は、ポスト・モダンの近代批判に大きな影響を与えることになる。

すべての善悪、優劣は人間の主観的な思い込みに過ぎず、絶対的な善悪だけでなく、相対的な善悪も否定する、価値相対主義の極限という点では、ブッダ諸行無常諸法無我、荘子の万物斉同論に近い。絶対正義を語るキリスト教の強い西洋思想というよりも、東洋思想によく見られる発想である。が、仏教については諦観だとしてニーチェは否認しているので、永劫回帰はもっと能動的である。すべてのものは平等に無価値であり、終わりも始まりもない永劫回帰という究極のニヒリズムから、運命愛にいたり、無から新価値を創造、確立する強い意志を持った者をニーチェは超人と呼んでいる。しがらみも伝統も秩序もまったくの無であるということは、そこからあらゆる新価値、新秩序が構成可能だということである。
永劫回帰批判

しかし、『歴史の終わり』を書いたフランシス・フクヤマらに批判されているように、社会科学的知見においては、蓄積している知識や歴史が、近代化という不可逆な方向性を持っている。永劫回帰の思想は人類史の立場から見れば誤りであると言える。

また、自然科学的観点に立てば、1.世界はエントロピー増大の法則により常に拡散・多様化していくので類似の状況が再現されてもまったく同じ状況が再現されることはないという熱力学的見解や、2.有限の系に無限の時間を与えても繰り返しが起こるとは限らないことを発見したカオス理論、あるいは、3.本質的に不確定性を内包する量子論など、特に物理学によって永劫回帰を否定することが可能である[注釈 1]

また、ニーチェの能動的ニヒリズムは、ナチスヴェルサイユ体制打破という政治的目的に利用され、結果的にヨーロッパに破滅的な戦災を与えた。戦後、新左翼の若者たちの間でも流行し、暴力行為を煽った。絶対的な善悪だけでなく、相対的な善悪すら存在しないと言うことは、あらゆる蛮行や凶行もすべて許されてしまうと言う危険思想に容易に直結する。その政治的に利用されやすい危険性と反省から、哲学者の永井均はその敗北の完璧さにおける思想的な意義を賛美しつつも、「ニーチェは思想家としては敗北した。マルクスには復活の可能性があるが、もはやニーチェにはない」と指摘している[4]。フランシス・フクヤマも、「ユダヤ的対等願望(奴隷道徳)は、ゲルマン的優越願望(貴族道徳)に勝利した」[注釈 2]と指摘し、弁証法的に発展する歴史には目的や終わりがあるとして、歴史の終わりを説いた。

永井均は、永劫回帰を思想と言うよりも、ある日突然ニーチェを襲った体験である点を強調している[5]
脚注
注釈^ しかし、1.多重宇宙間でのエントロピーの交互やり取り、2.散逸的事象と揺動的事象がマクロスケールと量子スケールにそれぞれ留まる場合、実質的な永劫回帰である、3.多重宇宙間で決定論的である可能性が残されている事、これらを考慮すると自然科学的観点から永劫回帰を否定するのは十分な論ではない可能性もある。
^ この場合の「ユダヤ/ゲルマン」の対比は、「被支配者/支配者」を示すものであり、ユダヤ文化=奴隷文化/ゲルマン文化=貴族文化という意味では無い。ユダヤ教そのものは、ユダヤを神に選ばれた民とする旧約聖書中の選民思想である。

出典^ a b c d e f g h i 小坂国継,岡部英男 編著 2005, p. 210.
^ 小坂国継,岡部英男 編著 2005, p. 211.
^ 西部邁『虚無の構造』中央公論新社〈中公文庫〉、2013年、148頁。


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