社会改造を念願とし、日本の内治外交を建て直し、即ち国民生活の再建設、国民能力総動員に因って最高度の生産能率を挙げ、経済組織を改め新社会を造り、同時に過去数世紀白人種の暴圧に虐げられたアジア民族を解放し、新興アジアの建設を使命とする[1]。手がけた政策特別科学学級 - 1944年(昭和19年)9月9日建議、同月11日可決[15]。