2014年1月27日12時半頃、宿泊していた広島県広島市中区のホテルの浴槽で倒れているところを従業員に発見され、病院へ運ばれたが、間もなく死亡が確認された[7][15]。満82歳没(享年84)。所属事務所より、死因は虚血性心疾患による心不全と発表された[27]。
永井は死去の前日から27日にかけ、中国放送製作の特番『世界が知りたいニッポンの技 ?美と食の匠たち・・・ひろしま篇?』[注 2]のナレーション収録のため広島市を訪れており[7][16]、これが生前最後の仕事となった[29]。また、同番組のエンディングには追悼のテロップが流れた[29]。磯野波平を演じていた『サザエさん』は、同年2月9日放送分(1月23日収録)が最後の出演となった[16]。
戒名は「壽聖院勲譽一叡聲導居士」(じゅしょういんくんよいちえいせいどうこじ)で、「周りの人々をほのぼのと温かく豊かに見守り、声によって救い導く」という意味が込められている。通夜は2月2日18時から営まれた[30]。葬儀・告別式は2月3日に営まれ、浦沢直樹、加藤みどり、冨永みーなが弔辞を担当[31][32]。それまでに共演してきた多くの声優仲間や後輩など約400人が参列し[33]、出棺の際には永井の弟の呼びかけにより、波平の口癖であった「バカもーん!」という言葉で送り出され、ホルストの組曲『惑星』の第4曲ジュピターの中間部が流れた[34][35]。その後、遺体は品川区の桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。 役柄としては壮年から老人の男性を演じることが多く「老け役声優」として知られた。重厚な声を得意とし[37]、主役以上の存在感を持つ脇役を演じることも多かった。アニメは『サザエさん』の磯野波平をはじめ創成期より数々の作品に出演。その他にも吹き替え・特撮作品、ナレーションなど幅広い分野で活躍した。 フジテレビ『プロキング』で声優121人が選ぶNo.1声優第4位に選ばれた。おもな投票理由は「声を変えずにキャラクターを変える演技力」。 腰が低く気さくな人柄から、多くの後輩に慕われていた[18]。松本梨香によると、現場で若手が叱られ落ち込んでいると場を和ませるなど、気遣いの名人でもあったという[18]。また、舞台では後輩の劇団公演に参加したり舞台セットの撤収まで付き合ったりと、かなり面倒見がいいことで知られた。 熱血漢なことでも知られていた[18]。また、仕事好きな性格だったことから、生涯現役の意向を貫いた[38]。 母方の祖母が明治の末期の頃の写真でバイオリンを弾いている写真が残っており、その姉妹でバイオリンとピアノとチェロを弾いていたという[2]。宝塚歌劇団入団志望だった母、彫刻家志望だった父がいた[2]。いとこにドイツでホルンを吹いている音楽家と女優の泉晶子がいる[2]。弟[34][35]、画家の妹がいる[2]。 1962年、俳優の東野英治郎が、『東京新聞』に「“声”優に危険手当てを-他人の演技に合わす苦しみ」と題するコラムを発表。
特色・人物
仕事に対する姿勢